一回り小さくなったように感じていた上半身には筋肉が付き始め、顔は小麦色に焼けていた。目が合うと「また、邪魔しに来たんですか?」と真顔になる。これも、入団以来、続いている彼なりの“あいさつ”だ。今までと何も変わることのない「横田慎太郎」が、目の前にいた。
脳腫瘍からの復活を目指す背番号124
「少しずつ、できることは増えていって前に進んでいますけど、まだまだです!」
昨年2月に患った脳腫瘍は、症状が消え安定した状態となる「寛解」と診断されている。半年以上に渡った闘病から選手寮に戻ったのは昨年9月。2軍の春季キャンプは別メニュー調整で始まり、今は屋外での打撃練習も行っている。2軍戦ではベンチ入りして声を張り上げ、イニング間の外野手とのキャッチボールなども率先して参加。グラウンドに背番号124が姿を見せる度、ファンから「頑張って」「待ってるよ」と激励の言葉が飛ぶ。
試合出場はもちろん、シート打撃など実戦形式の打席には、まだ立っていないものの、シートノックでは外野を守る姿も増えてきた。入院生活で衰えた体力を取り戻しながら、地道に、着実に、復帰へ歩を進めている。
7月20日から3日間は2軍の公式戦が甲子園で開催され、横田も試合前の打撃練習に加わり、ベンチから戦況を見守った。試合後、バットを担いでロッカーから引き揚げてきた表情は、とても穏やかだった。「やっぱり甲子園は良いなと思いました。ファンの方に温かい言葉もかけていただいて、すごく自分の励みになりました」。
今、脳腫瘍からの復活という決して簡単でないことに立ち向かっている。2月中旬に頭痛の症状を訴えて沖縄キャンプを離脱してから病院のベッドで過ごした日々は、毎日当たり前のようにユニホームを泥だらけにしていた横田にとって「苦痛」や「絶望」という言葉で足りないほどの心境だったはずだ。そして、病気との戦いを終えて、復帰を目指すこれからも、困難が待ち受けているかもしれない。
それでも、横田にはもう一度、甲子園のグラウンドへと続く「道」を歩んでいく理由がある。1つは「同じ病気を持つ人たちに夢、感動を与えたい」という強い思い。再び、甲子園のような大舞台で持ち味だった体がよじれるほどのフルスイング、全力疾走を見せることが、闘病している人たちに力を与えられると、信じている。
そして、背中を押してくれる仲間の存在も、心を奮い立たせてくれた。退院直後、同期入団で兄のように慕ってきた岩貞祐太からは、ニット素材の帽子を2つ手渡され「すごくうれしかった。岩貞さんの投げてる試合で打てるようになりたい」と目を輝かせた。先輩左腕も気持ちは同じ。「少しずつステップアップしてますよね。負けていられないし、横田が帰ってきた時に僕も1軍にいられるようにしないといけない」と復活を待っている。