「えっ、オレでいいの!?」子供の頃から憧れた安藤昇と対面…その人となりは
私が初めてこの生身の大スターと会ったのは、それからおよそ十数年後、忘れもしない昭和62年12月16日のことだった。知りあいの「小説春秋」という雑誌の編集長から、
「東映で安部譲二の『極道渡世の素敵な面々』という作品の映画化の話があり、安藤昇先生も企画の段階から協力しているとのこと。ついてはヤクザの部屋住みの若者に関するエピソードを聴かせて欲しいという先生からの要望なんだが、頼まれて貰えないか」
との依頼に、私は驚き、
「えっ、オレでいいの!? まだ駆け出しで何もわからないよ。とんでもない」
と、いったんは辞退したのだが、「ぜひに」という話に断りきれず(会いたいとの気持ちがはるかに強かったのだが)、編集長とともに渋谷の安藤企画事務所を訪ねるハメになったのだ。
当時の私の取材スタイルは(今となれば失礼な話だが)、相手がどんな偉い人であれ、冬は革ジャン、夏はポロシャツのノーネクタイ、ラフな格好で通していた。後ろ盾のないフリーライターの身、決してツッパッていたわけではないのだが、若さゆえの勢い以外の何ものでもなかった。
その日も、天下の安藤昇にお会いするのに、いつものように革ジャン姿で颯爽と乗り込んだのはよかったが、子供の頃から憧れた銀幕スターを前にして、私はアガリまくった。その人が私の目の前でソファに座っているという現実、なおかつ私に話しかけているということがとても信じられなかった。
まわりには今度の映画の関係者、東映の天尾完次プロデューサー、脚本家の松本功氏らがいて、安藤氏と私らの遣りとりに耳を傾けてくれているのだ。
「……昨今は部屋住みの若い衆を置いているところもめっきり少なくなったと聞いております。親分のほうも、そんなことやってたら、今時の若い者はみんないなくなっちゃうよという方もいるくらいですから」
「ホー」
「中には、『給料は出ないのか』とか、『当番だって? ガードマンを雇えばいいじゃないか』って言うような新人もいるそうです」
「そりゃ面白いな」
