45年間にわたり、「ヤクザ」と呼ばれる人々を取材してきたフリーライターの山平重樹氏。そんな山平氏が、ヤクザたちの意外な素顔や、これまで世に知られていないエピソードを綴った著書『私が出会った究極の俠たち 泣いて笑ってヤクザ取材45年』(徳間書店)を上梓した。
ここでは、同書より一部を抜粋し。「安藤組」を立ち上げて数々の伝説を残し、安藤組解散後は映画スターとして活躍した安藤昇氏の素顔を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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「人間の器の大きさが違う」安藤昇との忘れられない思い出
安藤昇氏との思い出で忘れられないのは、平成12年1月30日の昼下がり、氏と親交があった雑誌関係者S氏の結婚披露宴でのことである。S氏とは古い付き合いだったので、私も招かれており、定刻より早く東京・赤坂の会場に着くと、すでに多くの人が来ていた。その中に、ヤクザ取材の大先輩である大阪の大道智史氏を見つけ、
「お久し振りです。私もなんとかやっております」
などと、近況報告をしていたところ、傍らで車椅子に座っている人の姿が目に入った。
フッとその人の顔を見て、ビックリしたのは、紛うかたなき安藤昇氏に他ならなかったからだ。私があわてて御挨拶すると、なんと安藤氏は笑みを湛え、車椅子ながら深々と頭を下げてくれるのだ。
それは明らかに私が頭を下げた角度よりはるかに深く、丁寧なものだったから、私は恐縮すると同時に、その感激といったらなかった。
実るほど頭を垂れる稲穂かな――とは言うけれど、やはり、できた人物というのは違うなあ、私のような若造にまで!……と感動せずにはいられなかった。
それまでも、氏の兄弟分である新宿の加納貢氏をモデルにした私の実録小説が映画化されたことで、そのパーティーの折など、お会いしてはいたが、おそらく私のことなど憶えてはいなかったと思う。
それでも、きちんと挨拶を返してくれるのだから、さすがというか、人間の器の大きさが違うと思わざるを得なかった。ますます我が憧れの人となったのは言うまでもない。
