「それより前に、私はまるで真逆の体験をしていた」安藤昇の対応に感動したワケ

 なぜ、そこまで感動したかというと、実はそれより前に、私はまるで真逆の体験をしていたからだった。あるパーティーで私は知った人の顔を見つけたので、きちんと挨拶した。すると、その右翼かヤクザかわからぬ大物は腰を折る私に対し、座ったままでまったくの無視、あたかも路傍の石ころでも見るような視線を送ってくるだけだった。

 もとより私はその程度の若造であったから、別段なんとも思わなかったが、まわりでこの光景を目のあたりにした渡世の関係者は少なくなかった。腹立ちより何より、私がその方に対し強く思ったのは、

〈ああ、大丈夫かな? これだけの人が見ている中で、そんなに男を下げるような振る舞いをして……〉

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 という同情でしかなかったが。そういうことがあっただけに安藤氏の所作がなおさら胸に沁みたのだ。

安藤昇 ©文藝春秋

「安藤昇×梶間俊一対談」の司会役に抜擢…知られざる逸話も

 だが、なんと言っても一番の思い出は、平成17年3月に公開された安藤昇企画・原作(自伝「激動」=双葉社刊)の映画「渋谷物語」(梶間俊一監督、村上弘明主演)の時のことだ。

 映画公開直前、そのパブリシティを兼ねて週刊大衆において「安藤昇×梶間俊一対談」が企画され、梶間監督がなぜか私を、司会役に指名してきたのだった。

 編集者やカメラマンとともに、私たちが渋谷の安藤事務所を訪れたのは同年1月25日正午前のこと。この時、安藤氏は78歳であったが、とても若々しく年齢を感じさせず、私の中では変わらぬヒーローであった。

 一方の梶間俊一氏といえば、安藤組映画を最も多く撮っている俊英の監督で、私も以前、取材させて貰い、いい印象を持っていた。氏は私のどこを気に入ってくれたのか、この対談の司会役に呼んでくれたのは光栄な話でありがたかった。

 対談では、若かりし頃の安藤氏の知られざる逸話も聞かれたものだ。

「安藤さんも、戦後の松田組と台湾人連盟がぶつかった『新橋事件』に参加されたと聞いてますが」

 との質問に、

 安藤「ピストル持って行ったよ。松田組のヤツが、機関銃を撃ったんですよ。その日は、『撃っても捕まえないから何をしてもいい』って警察が言うんだよ。だから、堂々と拳銃を持って行ったら、今度は逮捕だって(笑)。しょうがねえから、石炭の山にピストル隠して、ズラかったよ(笑)」