「なんという心優しい温かい人であることか!」と感動した安藤昇とのやりとり

 私はガチガチの状態であったが、なんとかお役に立ちたいと、取材や伝聞で知り得た昨今の部屋住み事情や若者気質、いろんなエピソードを披露した。口下手の私はシドロモドロになりながらも、なんとか懸命に話し続けたものだった。

 が、とても中味のある話とも思えず、興味をひくような挿話もなかったと思う。なにしろ喋りが上手くないのは本人も自覚していたから、さぞやつまらなく、期待外れであったことだろうと容易に想像がつく。

 それでも安藤氏は呆れたり、こちらをバカにするような素振りは一切見せないばかりか、逆に、

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「ホー、面白いな!」

 と合槌まで打ってくれて、最後まで興味深そうに聴いてくれていたのだから、このレジェンドと呼ばれる人の心遣いに、感動せずにはいられなかった。

 なんという心優しい温かい人であることか! と。

 私にとって、この日――昭和62年12月16日というのは、生涯忘れられない日となったのである。

 あろうことか、この12月16日という日は、後に安藤氏や関係者、ファンにとっても特別な日となった。氏が89年の波瀾の生涯を閉じたのは、この28年後、平成27年12月16日のことで、奇しくもレジェンドの命日となったのだった。

評論家の大宅壮一と対談する安藤昇 ©文藝春秋

サービス精神も旺盛な安藤昇…結婚式の神父役でワンシーン出演

 ちなみに「極道渡世の素敵な面々」は和泉聖治監督、陣内孝則主演で、東映で昭和63年6月に封切られた。私も天尾プロデューサーから招待券を贈っていただき、観させて貰ったが、なんと安藤昇が結婚式の神父役でワンシーン出ていたのには驚いた。サービス精神も旺盛な方なのだった。

 この作品を撮った和泉監督とはそれから数年後に出会い、私の原作の「モロッコの辰」を撮ってくれ、脚本も松本功氏であったのだから、これまた奇しき縁というものだった。

 ともあれ、初めて面識を得て、亡くなられるまでの28年間、私が安藤氏とお会いしたのは数えるほどしかないが、そのどれもが鮮烈な印象として残っている。男として、こんなカッコいい人も、やはり稀ではなかったろうか。

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