中学に入ると小学生の頃の反動からか、悪ガキを卒業した。先生の話にも熱心に耳を傾ける生徒に変わっていた。なぜか同世代の友人にも敬語を使う癖がついた。その癖は20代まで直らず、周囲から不思議がられた。

『スパルタ教育』には「先生をむやみに敬わせるな」「転校したときに、まわりに同化することを教えるな」ともあったから、中学に入ってからの私のふるまいは、父の方針とは違ったのかもしれない。

「宿題ができなくても…」

 長男は中学から、次男から四男は小学校から私立校に通った。中学から落第のある学校だったから、父は、落第したら丁稚奉公に出すとよく言っていた。と言われながらも両親から勉強を教えられることは殆どなかった。『スパルタ教育』には、「宿題ができなくても、親は決してめんどうをみるな」とあるからなのか。

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 一方で、勉強については本当に様々な人から教えていただいた。後に父が運輸大臣になった時の秘書官は、家庭教師のお兄さんだった。また経済産業省に入省して、伸晃兄貴や私が議員になった後もお世話になった方もいる。スパルタ教育に家庭教師はそぐわないような気もするが、いろいろな人から勉強を教えてもらうのは楽しかった。

「家庭の経済的な問題は、子どものまえで堂々と話し合う」ことについては、実践されていなかった。父は、子供の前でお金の話をするなと母を怒った。私の友人の中には小学生の時からお金の教育を受けていた人もいた。私は子供にもお金について話すべきだと思う。

「子どもが関心を示したことは、徹底的に教えよ」という方針には感謝している。小学校でバスケットボール部に入った時には、駐車場にバスケットのゴールをつけてもらい、毎日練習した。「アメリカで勉強してみたい」、大学生になってそう言った時は、ハーバードやUCLAのサマースクールに留学させてくれた。この経験は、銀行での海外勤務や、政治の世界に入って後の外務大臣政務官、首相補佐官としての仕事にも繋がった。

次の記事に続く 太っていて運動は苦手、勉強もコツコツやらないと成績が取れない…それでも三男・石原宏高(61)の“才能を殺さなかった”「石原慎太郎の深さ」

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