――それ、酒蔵へ入った。と、元気のいい連中はすかさず倉庫の戸をぴったりと閉めてしまった。
幸いに、蔵の中には人間がいなかったので先ずは一服という訳でもないが、生け捕る相談をすることにした(「熊が酒蔵へ飛び込んだ話」『さっぽろむかしむかし』大西泰久 平成元年)
この後、無事に熊は生け捕りにされたが、その慰労でいつくかの酒樽が空になったそうである。
北海道北見の訓子府村でもメインストリートをヒグマが爆走するという事件があった。
北海道では市街地を爆走
昭和元年四月初旬稲積牧場に放っていた馬をたおした五,六歳位の熊が血に狂って常呂川をわたって訓子府市街へ突進、本光寺付近から大通りへ抜け向かい側のキリスト教会日曜学校の硝子戸二枚をメチャメチャに破壊し、さらに北海電灯出張所の社宅の壁を突き破り、その他棚四六ヶ所を破壊して、大通りを西に向け驀進、駅通りに曲がり、北一条を西に向かって柳橋医院よりさらに南に向きをかえ、電灯会社に突き当たり、これより右転役場付近から常呂川へ引き返し、川をわたって稲積事務所付近のやぶにひそんだ(後略)(市街 伊藤三郎談)(『訓子府村史』、「北海タイムス」大正15年4月28日)
現地を取材した地元紙によれば、この後クマは、待ち伏せていた猟師に銃撃され、再び常呂川に飛び込んで北岸から再び市街地に突進しようとした。
北岸にいた見物人は一斉に大声をあげ、熊は驚いて川に沿って上流に逃げ、再び常呂川を渡って西訓子府に逃れて、日没と共に姿を消した。
当日は橋や屋根の上は黒山の見物人で、「水に飛び込む様のごときは活動写真の猛獣狩りを見るごとく実に壮観を極め」(前掲)と、大満足であったらしい。
市街地に迷いこんだクマは極度に興奮しているので、見境なく襲ってくる可能性が高い。攻撃されることを前提に、身を守る手段を講じるのがよいだろう。
筆者がこれまで調べた古老の体験談などによれば、クマは音や動きのあるものに反応して、そちらに攻撃対象を変えることが多いようだ。
まずは自分自身を守り、クマの注意が他にそれたタイミングで逃げるのがベストだろう。
ノンフィクション作家、人喰い熊評論家
明治初期から戦中戦後にかけて、約70年間の地方紙を通読、市町村史・郷土史・各地の民話なども参照し、ヒグマ事件を抽出・データベース化している。主な著書に『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』(講談社)など。
