きょう1月22日、俳優の高橋惠子が71歳の誕生日を迎えた。明日1月23日には高橋がプロデューサーを務めた、夫の高橋伴明監督の映画『安楽死特区』が全国公開される。それに先立って年明け1月5日に行われた同作の完成披露上映会に登壇した彼女は、監督が現在軽い脳梗塞で入院中だと公表し、《今日はここに立てないけど、くれぐれもみんなによろしくということで、そのこともみなさまに伝えたい》と語った(「テレ朝NEWS」2026年1月5日配信)。(全2回の1回目/続きを読む

1月22日に誕生日を迎えた高橋惠子 ©時事通信社

夫の映画に「私も出たい!」と直訴

 高橋は俳優デビュー55周年だった昨年(2025年)にも、夫が監督した映画『「桐島です」』に出演している。同作は、タイトルにあるとおり実在の人物である桐島聡を主人公(演じたのは毎熊克哉)に、1970年代の連続企業爆破事件の犯人の一人として指名手配されながら逃亡・潜伏生活を半世紀近く送ったその人生を、事実に創作で肉付けしながら映画化したものだ。そのタイトルを聞いた高橋は「私も出たい!」と、初めて自分から夫に直訴して出演したという(『女性自身』2025年7月15・22日号)。彼女が演じたのはラストに出てくるAYAという謎の女で、現在の国際情勢に対する監督のメッセージをうかがわせるような登場の仕方だった。

 そもそも夫とはその監督作品『TATTOO〈刺青〉あり』(1982年)に出演したのが馴れ初めで、出会って半年でスピード結婚したあともたびたびその作品に出演してきた。この間、一男一女を儲け、娘が19歳で結婚したため早くに孫もでき、かつては高橋の母、夫、娘夫婦と孫たちと4世代、9人で暮らしていた時期もある。このことを含め、彼女はメディアで家族について話すことも多い。デビューのきっかけにも家族が絡んでいた(なお、彼女の結婚するまでの姓は「関根」だが、この記事では以下、便宜上「高橋」で統一する)。

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北海道で生まれ、父の夢を受け継ぎ俳優に

 高橋の父は終戦後、祖父と一緒に開拓民として福島から北海道に移住し、彼女が生まれたときには酪農を営んでいた。のちに彼女は戸籍を取り寄せることがあり、出生地の欄に「北海道川上郡標茶(しべちゃ)熊牛原野(くまうしげんや)番外地」とあるのを見て、自分は番地がつけられないくらいの原野で生まれ育ったのかと驚いたという。

若かりし頃の高橋惠子。当時は「関根恵子」として活動 ©文藝春秋

 自然豊かな環境で育った彼女だが、その後、サラリーマンに転身した父が定年退職したのを機に一家で上京する。父は小学校卒で教育の大事さが身に染みていたからか、一人娘の彼女を東京の大学に行かせようと思っていたらしい。

 しかし、高橋が中学2年のとき、自宅に映画会社の大映から電話があり、スカウトされる。その少し前、近所の写真館へ家族写真を現像に出しにいった彼女を、大映のスチールマン(カメラマン)がたまたま見かけていたのだ。本人は子供のころから内気な性格で、自分が俳優になるなど夢にも思っていなかったが、父は反対するどころか、自身が昔俳優になるのが夢だったので喜び、大学に行かなくてもいいから女優になりなさいと勧めたという。