「おんなになるの」と心でつぶやいた“初体験シーン”

 大映とは中学卒業を待って1970年春に契約を結び、当時の本名「関根恵子」として『高校生ブルース』でデビューする。当初は『おさな妻』がデビュー作となるはずだったが、『高校生ブルース』の主演女優が急遽降板したため、撮影所の所長から「これをやってもらいます」と台本を渡され、有無を言わさず出演が決まった。女子高生が妊娠するというショッキングな内容で、ヌードシーンもあったにもかかわらず、それを観た両親は「よく頑張ったね」とねぎらってくれたという。

 続く『おさな妻』では、高校生にして中年男性と結婚するという役どころだった。彼女はこのときのことを数年後に雑誌に寄稿した手記(『婦人公論』1973年8月号)のなかで、《結婚初夜を迎えるシーンなどは、それはそれは大変で、終わった後は、しばらく呆然としていた。監督の注文は、もっと苦痛の表情をというのだけれど、私の知っている苦痛は、虫歯が痛いとか、おなかが痛いとか、せいぜいそんなところだから、これは何とかしなくてはと思い、一生懸命心の中でつぶやいた。/『私はおんなになるの、おんなになるの……』》と振り返っているが、何ともいじらしい。

17歳で結婚する役を演じた映画『おさな妻』(1970年)

きわどい場面を売りにした作品が次々と

『おさな妻』はヒットし、物怖じしない演技も評価され、ゴールデン・アロー賞新人賞を受賞した。当時すでに映画業界は斜陽で、日活がロマンポルノ路線に転じるなど、各社は若手女優にセックスアピールを要求する方向に傾いていた。大映もまた"レモンセックス路線"と称して高橋のきわどい場面を売りにした作品を次々と製作する。

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 しかし、本人からすれば、ヌードシーンや性的な内容ばかりがクローズアップされることには抵抗があった。《でも、私一人の力ではどうすることも出来なくて、だったら出ないで辞めるしかない感じだったので……。後はもうそんな売り方を食い破るくらいの演技力を身につけていい女優になるんだって、自分に言い聞かせていました》と彼女は後年明かしている(『キネマ旬報』2012年11月下旬号)。

©文藝春秋

 入社以来1年半で映画7本に出演し、始終撮影に追われ、休めたのはわずか年3日だった。当初は、ほかのことはすべて捨てて俳優業に賭けてみようと意欲に燃えていた彼女もだんだん疲弊し、やがて《ここまで自分の実生活の時間がなくて、演じている時間のほうが長いというのは、さすがに自分がいびつなものになってしまうんじゃないか》と懸念を覚え(同上)、大映社長に「辞めます」と申し出た。すると、すでに次の出演作を製作発表したあとだったので、これが最後でいいからとにかくやってほしいと言われる。