「アフリカの子どもたちを無視した冷酷な利己主義者だ」
「あの男は、自分の神話を守ることに必死なんだ」
「低身長だからマイケル・ジャクソンと並ぶのがイヤだったんだろう」
非難の声が飛び交い、彼はまさにサンドバッグ状態でした。それでも――彼は、反論も、弁明も、謝罪もしませんでした。プリンスは沈黙を守りました。
その場で一緒に歌うことは、選ばない
その年、彼は《Hello》を、シングルのB面として発表します。異様なまでに細かく刻まれるリズムギターが空気を切り裂き、早急なビートがプレッシャーのように響きます。
I tried to tell them that I didn’t want to sing / But I’d gladly write a song instead(歌いたくないって伝えたんだ。でも、代わりに喜んで曲を書くって)
彼は《Hello》の中で、誹謗中傷にも触れています。
4 U words are definitely not shoes / They’re weapons and tools of destruction (キミにとって言葉は、靴なんかじゃない。他人を傷つけ、壊すための武器だ)
支援の気持ちはある。だからこそ、新曲も提供する。でも、「その場で一緒に歌う」ことは、選ばない。――それが、プリンスの判断でした。
実際、彼がその輪に加わらなかったことで、《We Are The World》の“We”は、「世界中のみんな」ではなく、「その場に集った人々」の“We”になりました。もしプリンスがそこにいたなら――まばゆい衣装とゴージャスなサウンドの中で、その意志はかき消されていたでしょう。“セレブな私たち”と“世界”がイコールで結ばれかねない構図の中で、プリンスは、「彼らが考える We」の外側に立つことを選んだのです。
では、プリンスにとっての“We”とは、どういうものだったのでしょうか?
1990年の《New Power Generation》。「We R The New Power Generation」というフレーズは、旧来の価値観に従わず、愛と創造で世界を変えていく“新しい世代”を意味していました。1995年の《We March》では、不正義への抗議と、自由への意志が歌われます。「私たちは行進する」――現実に踏み出す足音のサウンドです。1996年の《We Gets Up》では、何度倒れても、また立ち上がる人々が讃えられます。希望を手放さない者への応援歌です。
プリンスにとって“We”とは、自分の足で立つ人たちのこと。足元には、いつも、自分の言葉がある――それが彼の歩き方でした。
キミにとっての We って何?
キミは、言葉をどう使う?
“Hello”は、プリンスからのハローです。
