垂氏が渡したメモ

 秋葉さんの交渉相手は外交部アジア局長の孔鉉佑氏(前駐日大使)でした。ただ、彼は習近平氏と直接意思疎通できる立場ではなく、マンデート(トップから委任された権限)がありません。交渉の席で決められず、その都度、持ち帰って外交部長の王毅氏やその上の楊潔篪氏にお伺いを立て、場合によっては習近平弁公室まで上げなければならない。現場レベルの合意を「アドリブ合意」と言いますが、これはことごとく反故にされ、なかなか折り合えなかったようです。私は北京にいた元部下に連絡して、秋葉さんに「絶対相手は降りるから、もうちょっと頑張ってください」とメモを入れてもらいました。帰国した秋葉さんは私に、「いや、もうダメかなと思う瞬間はあったよ」と言っていました。ただ、ここまで来た以上、中国側もまとめたがっているのは、東京にいる私には手に取るようにわかりました。

尖閣国有化問題の運命を変えたのは菅義偉氏の一言だった ©文藝春秋

 11月10日、首脳会談が実現した日に、秋葉さんは帰国。菅さんは大喜びです。秋葉さんと私、市川恵一秘書官(現・内閣官房副長官補)を呼んで分厚いステーキをご馳走してくれ、自分は一滴もお酒を飲まないのに、「この店で一番高いワインを開けろ」と振舞っていただきました。この日は深夜まで過ごし、4人で肩を組んで記念撮影。破顔一笑した菅さんの顔は忘れられません。

※垂氏の連載「駐中国大使、かく戦えり」の第3回「尖閣諸島のために戦略的臥薪嘗胆を」全文(約1万1000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(「駐中国大使、かく戦えり」全8回公開中)。また、本連載は『日中外交秘録 垂秀夫駐中国大使の闘い』として、一冊まとめられました。

日中外交秘録 垂秀夫駐中国大使の闘い

垂 秀夫

文藝春秋

2025年6月11日 発売

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