裕福な家に嫁いだ女性と、その家の女中頭の絆を描いた『襷がけの二人』で直木賞候補となった嶋津輝さん。2年ぶりの新刊『カフェーの帰り道』で描くのは、大正から昭和にかけて“カフェー”で働く女給たちだ。
「女性たちが“わちゃわちゃ”している感じを書きたかったんです。それも、舞台は職場で。学校ほど距離感が近くない、仕事での繋がりくらいがいいな、と」
東京・上野の片隅にある「カフェー西行(さいぎょう)」。関東大震災後にカフェーが再興する中、流行りに乗り切れないこの店はどこか長閑(のどか)だ。
女給のタイ子は、その美貌にかかわらず他では雇ってもらえない事情があった。当時のカフェーは一種の社交場で、女給目当てでやって来る客も多い。27歳で子持ちのタイ子は歳をとりすぎており、しかも字が読めなかったのだ。カフェー西行の入口にも「女給募集 十九歳」と貼り紙をしているが、店主の菊田はそんなタイ子もおおらかに受け入れていた。だが、彼女が“竹久夢二が描く女性にそっくり”と話題になり――(「稲子のカフェー」)。
「当時は女性が働ける場所が限られていましたし、それでも女給として働く事情があったと思うんです。一方で、流行らないカフェーで働く彼女たちはチップをたくさん稼ぐようなガツガツしたタイプではない。そういう、あまり成功していない人に惹かれるんです」
他にも、文学修業中で押しの強いセイや、ちょっとした嘘をつく美登里、その美登里も驚くような大胆な嘘をつく園子など、個性豊かな女給たちが働いている。
やがて昭和になり、カフェー西行にも戦争の影が。セイは客といい仲になるが、彼に召集令状が(「出戻りセイ」)。タイ子は出征中の息子に手紙を出そうとし、検閲に塗り潰されない文面を思案する(「タイ子の昔」)。
「戦時中の手紙というと特攻隊の遺書が有名です。親への感謝や死ぬ覚悟を綴った立派な内容が印象的ですが、今回戦地からの手紙を調べていると、弱音を吐いたり、帰りたい気持ちがにじみ出ているものも結構あったんです。本当は皆、戦争なんて嫌だったに決まっていますよね」
最後の一篇で時代は戦後に。カフェー西行は「純喫茶西行」として営業再開。ウエイトレスの幾子は戦時下の抑圧から解放され生き生きと働くが、家では母が、兄の戦死に塞ぎこんだまま。そんな母の様子に傷つく幾子に手を差し伸べるのが、店に集う元女給たちだ。
「戦争を経験した時代の人は、みな何かしら痛みや喪失を抱えていたと思います。幾子は人生の半分以上が戦時中だったわけですが、年上の皆にはその痛みが分かるので、自然と若い彼女を思いやる流れになりました」
嶋津さんの作品に共通するのが、居心地のよい場所とほどよい距離感の関係性だ。その理由を問うと――。
「私は転職経験が多いんです。人間関係が濃くなったり責任が大きくなると苦しくなってしまう。それで7社も移ったのですが、ちょうど人を増やす時期に入るからか暇な職場が多くて。暇だと、時間が経つのが遅く感じるんですよ(笑)。いかに職場で暇潰しをするか考える、そんな社会人だったので、そういう、どこかのんびりした人が描きやすいのかもしれません」
「西行」という“職場”が辞めても顔を出せる場所であること、そこで年代の違う女性たちが緩やかに繋がる様子はとても晴れやかだ。
「結果的に、女給という職業が存在した期間を描いた形になりました。激動の時代に存在したからこそ、女給は時代を映す鏡のようなものだったのだと思います」
しまづてる/1969年東京都生まれ。2016年「姉といもうと」でオール讀物新人賞受賞。19年、同作を含む『スナック墓場』で書籍デビュー(文庫化にあたり『駐車場のねこ』に改題)。23年刊行の『襷がけの二人』で直木賞候補となる。

