モデルになったのはハーンの部下の女性

その女性、イライザ・ベルズランド(シャーロット・ケイト・フォックス)のモデルは、エリザベス・ビスランド(1861-1929)という。実際、ヘブンのモデルであるラフカディオ・ハーンとは、若い時期からたがいに影響をあたえ合った。

ルイジアナ州のプランテーションに生まれたビスランドは、南北戦争で疎開したのちに実家が困窮。10代にして文筆の世界に足を踏み入れたが、そのきっかけは、ハーンが書いた記事を読んだからだったという。その後、タイムズ・デモクラット社という新聞社に記事を投稿するようになり、まもなくニューオーリンズの同社に赴いて入社する。そこで文芸部長を務めていたのがハーンだった。

その後、ニューヨークに出て、新聞「ザ・サン」や雑誌「コスモポリタン」などの記者や編集者を歴任し、1889(明治22)年、大きな話題をつくった。出版社のニューヨーク・ワールドがネリー・ブライという女性記者を世界一周の旅に送り出すことになった。ジュール・ヴェルヌの小説『80日間世界一周』より短い期間で世界を一周するという挑戦で、このとき「コスモポリタン」も対抗して記者を派遣することを決定。選ばれたのがビスランドだった。

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結局、ビスランドはブライの72日と6時間10分に勝てなかったが、それでも76日半で世界を一周した。

息子は「一種の恋愛」と記した

だが、ハーンとの関係上で大事だったのは、世界一周を成し遂げたこと自体より、太平洋を渡って最初に到着したのが横浜だったということだった。結局、日本に2日間滞在した彼女は、その後、「コスモポリタン」誌上に12ページにわたる日本滞在記を掲載する。

ハーンが来日したのは、ビスランドがはじめて日本の土を踏んだ翌年、1890(明治23)年のこと。彼女から、日本という国がいかに文明社会に汚染されておらず、清潔で、美しいか、ということを聞かされ、背中を押されたようだ。