『国宝』で演じた“恋心”→“絶望”への転落

 彼女が演じた彰子は、歌舞伎界の権力者の娘。極道一家に生まれながら芸道に人生を捧げることとなった主人公・喜久雄(吉沢亮)に想いを寄せる、うら若い女性だ。森の活き活きとした演技からは、彰子の胸のトキメキが伝わってくる。しかし喜久雄は、彼女のこの無垢な好意を利用する。彰子と夫婦になれば、歌舞伎界での地位を手に入れられるからだ。かぎられた時間の中で、森はこの転落の過程を体現している。

 彰子からすればこの真実は、まさに絶望に値するもの。彼女のピュアな性格を表現していた声の張りも柔らかな表情も失われ、真実を知る前と後ではまるで別人のよう。この変貌ぶりにはショックを受けた人も多かったのではないか。そしてこの“報われないヒロイン”の演技によって、歌舞伎の世界で生きるために喜久雄がどれだけ残酷な人間になろうとしているのかを観客は知ることになっただろう。

森七菜(『国宝』公式Xより)

『国宝』から『フロントライン』で見せたギャップ

 この『国宝』のわずか1週間後に公開された『フロントライン』では、森の演技の振れ幅の大きさを再確認し、物語を引っ張っていける存在であることを再認識することとなった。森が体現する女性像も、作品上の役割も、まるで違ったのだ。

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 本作は、日本ではじめて新型コロナウイルスの集団感染が発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」を舞台に、その第一線に立った災害派遣医療チーム「DMAT」の奮闘を描くもの。

 森が演じたのは船のクルーであり、乗客ファーストで動く人物だった。正義感の強い彼女は人々の不安を取り除こうと、医師や検疫と衝突することもしばしば。主演の小栗旬をはじめとする男性たちが中心になって活躍する本作において、森はひとつの軸となるポジションを担っていた。ある種のヒロインである。

 出るところは出て、引くところは引く。森のほうから芝居を投げかけることがあれば、受け手に徹することもある。本作は「DMAT」の活躍にフォーカスしつつ、船内で起きた混乱の全体像を描く作品だったが、“攻守”を自在に切り替える森の演技が目を引いた。人々の間で立ち回る存在は柔軟そのものだが、『国宝』での彼女が作品に“深み”をもたらしていたのに対し、こちらでは“強さ”を与えていたと思う。