判決は……
裁判では、全ての審理を終えると最後に被告人に対して陳述の機会が与えられる。被告人は「文句の言いっ放しですわ」という言葉から始まり、数分にわたって逮捕にいたる経緯など、事件にまつわる不満を述べ続けた。
中には「こんな小さな事件」といった表現で自身の犯行を矮小化するそぶりもあった。ひとしきり主張が終わり、証言台から元の席に戻される際には、裁判所から貸与されていた補聴器を証言台の上に置き、席に戻ってから「不満だらけですわ」と大きな声でまくし立て始める一幕もあった。
補聴器を外しているため、裁判官の静止は被告人に全く届かず、それをいいことに「職務怠慢や!」「給料を返せ!」など大声を上げ続け、継続すると退廷させると注意も受けていた。その注意も本人に届かないと判断されたのか、退廷が命じられることもなく、法廷にいる面々はただ困った表情で、被告人の主張を聴き続けるほかなかった。
被告人の主張は基本的に身勝手かつ支離滅裂なものがほとんどだが、「今日で身柄拘束、100日は過ぎます」という言葉には、特段に思いが込められているように感じた。被告は心臓が悪く、家以外では車いすを使うような生活であり、拘置所での生活は非常にこたえるものだったのだろう。
当然、自身が起こしたことの報いという見方もできる。そもそも犯行に及んだ理由も、生活保護に頼る「こんな生活は嫌だ」というものであり、「警察に捕まりたい」と被害者に嘘の通報を強い、断られたことだった。
最終的に言い渡された判決は、懲役2年6月(求刑懲役3年)の実刑判決。それまで自己主張が激しかった被告人だが、判決の読み上げに際してはむしろ穏やかな様子を見せた。望み通り逮捕され、生活保護に頼る日々が終わったことへの安堵なのか。結局、被告人の真意がどこにあるかわからないまま、裁判は終わりを迎えた感がぬぐえない。
日本は超高齢社会などと表現され、そのピークは2040年ごろと予測されている。そんな中、自宅で介護を続ける人たちによる痛ましい事件や、看護・介護従事者による暴力、窃盗、性犯罪のニュースなどは絶えない。中でも今回のような、サービス利用者から従事者に対する事件は、なまじ相手が「お客さん」であることから、一次対応が難しいと言える。
人材確保、待遇の見直しなど看護・介護業界にはさまざまな取り組むべきテーマがあるが、こうしたケースを考慮し、万が一のときに従事者が身を守るための制度設計も、進めていくべきだ。
