1975年12月の第1回から数えて、50周年を迎える同人誌即売会の「コミックマーケット(コミケ)」。今や海外からも多くの来場者が参加する“オタクの祭典”だが、その発展を陰で支えてきたと言っても良いのが同人誌専門の印刷会社だ。多くの草分け的な印刷所が同人誌の印刷を通じ、まだ「オタク」という言葉すらなかった黎明期から、その活動と文化をインフラ的に長年支えてきた。

 東京都福生市に本社を置くポプルスも、そんな老舗企業の1つだ。2026年1月に創業50周年を迎える同社の歴史は、コミケの歴史ともぴったり重なっている。半世紀にわたる同社の歩みと同人活動のトレンドの変遷について、同社副社長の中澤美木氏(75)に聞いた。(全2回の2回目/最初から読む)

ポプルスの中澤副社長と、同社の納品用段ボール(写真提供=同社、以下同)

同人漫画を印刷してくれるところは、ほとんどなかった

 コミックマーケットが産声をあげた1975年ごろ、同人誌を取り巻く状況は現在と大きく異なっていた。まず当たり前だが、印刷はアナログのみ。オタクたちは紙の原稿を雑誌にまとめるために、印刷所を拝み倒すようにして近所で自分の作品を印刷してくれる場所を探す必要があったという。

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 加えて、最低刷り部数は500部からというのが当時の「常識」。1部あたりの印刷費も、商業印刷ではない個人にとってはかなり高額で高嶺の花だった。さらに印刷所や版の材質などによって仕上がりの差も激しく、「面付」という製本作業やイベント会場への搬入も基本的に自前――というように、とにかく当時の漫画同人誌づくりは膨大な労力と費用が掛かっていた。

「当時はそもそも、多くの印刷会社は『商業ではない、遊びで作った漫画なんか印刷しません』といった感じで門前払いでしたね」(中澤美木氏、以下同)

 潤沢な資金や多くの会員を抱える大学サークルやネームバリューのある個人でもなければ手の届かなかった同人誌の制作だが、コミケに代表される今日のような同人活動の盛り上がりの背景には、ポプルスのような「同人誌専門印刷所」の成立と技術的な進化によって、同人誌制作の敷居が下がったことが深く関わっている。