文学研究者の立場から「ケア論」について執筆してきた小川公代さん。自身の介護経験や、次第に見えてきた「ケア」の本来の価値について綴った『ゆっくり歩く』が好評だ。
「8年前に母がパーキンソン病と診断されました。当初は地元の和歌山で暮らしていたのですが、だんだん立ち行かなくなり、『それなら東京に来たらどう?』と。介護って、辛いけど気づきもたくさんあって楽しい。自分自身のことをここまで書いたのは初めてです」
本書の中で印象的なのは、一緒にいて喧嘩しそうになったり不穏な空気が流れたりしたときに、小川さんが文学作品を語り聞かせる箇所だ。物語に耳を傾け、共感したり疑問を感じたりすることについて母娘で対話していくうちに、母はだんだん落ち着いていく。
「介護を通して、実践的な観点から、文学作品って本当にすごいんだ、ということにようやく気付きました。たとえば、かの有名なカフカの『変身』。主人公ザムザは、ある日起きたら虫になっていて、家族から酷い扱いを受ける。日本語で『虫けら』という言葉がありますが、まさにそんな感じ。身体が思い通りに動かせなくなってしまった母は、世間から排除されるような感覚に苛まれて、本当にすごく辛い。その苦しみの深さを、カフカの作品は同じ強度で語ってくれます。それは、カフカ自身が心身に苦しみを抱えていたから。現実の経験に裏打ちされた言葉が、文学になっているんです」
小川さんの母は、英語学校を運営する夫を支えつつ、娘たちの世話に加えて、学校で働く外国人教師の面倒も見ていたという。
「母は、他人の世話をする、ということに一生を捧げてきた典型的な昭和の女性です。そういう人が身体の自由を失うとどうなるか。自分の存在価値を見失ってしまうんですね。私自身は、自分だけの力で生きてこられたわけではない。というか、親が面倒を見てくれた環境のおかげです。そんな母が困っていたら、助けるのは当たり前だと思いました。ただ、ずっと家族仲がよかったわけではありません。10代の頃は家出したこともあります。親だから、というだけじゃなく、身近な人が困っていたら、できる範囲で手を差し伸べる。それが価値あるケアなんです」
小川さんはケンブリッジ大学時代、政治社会学を専攻していたが、その後文学研究の道へ。そこには、政治思想を網羅していく中で抱いた違和感があった。
「近代の政治学史や経済学史に出てくるのは男性ばかりです。彼らが研究をする上で、その生活を支えていたのは誰なのか。『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』という本がありますが、彼は生涯母親に面倒を見てもらっていた。つまり、ケアされていたんです。その価値が近年ようやく発見されつつありますが、当時の私は違和感を言語化できていなかった。でも、近代が無視してきたものの価値をどこかでわかっていたからこそ、文学の道に入ったのかなと介護してみて気づきました。研究者としても、現在進行形で影響を受けていると思います」
自己責任論が吹き荒れ、安楽死の是非も議論される時代を、どう生きていったらいいのだろうか。
「日本人は特に、『迷惑をかけたくない』という病だと思います。でも私は、母、姉、甥と相談しながら介護を運営していくのが楽しい。ケアには、『慣れ』が必要です。家族や同僚のちょっとした仕事を手伝うとか、そんな小さな実践から始めるのもありかも。相手の意外な発見に繋がります」
おがわきみよ/1972年、和歌山県生まれ。上智大学外国語学部教授。ケンブリッジ大学政治社会学部卒業、グラスゴー大学博士課程修了。専門はロマン主義文学、医学史。著書に『ケアの倫理とエンパワメント』など。

