「何らかの“圧力”が…」児玉が司法の追及から逃げ切ったワケ

 このように児玉の疑惑は強かったが、前述したように司法の追及からは逃げ切った。一時は児玉の側近を逮捕するなど、特捜部は児玉ルートにも迫ったのだが、途中からトーンダウンしている。もしかしたら何らかの“圧力”があったのかもしれない。

 それにロッキード事件の最中、同社と児玉を繫いだ日系の元米軍人・福田太郎が病気で急死するということもあった。彼が入院していたのは東京女子医大病院。

 重要参考人だった児玉の国会証人喚問を防ぐためにニセ診断書を作成したうえ、国会派遣の医師団を騙すために児玉に薬物を注射した、いわくつきの病院だった。まさか福田は……と、ちょっとコワい話もある。

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©文藝春秋

「単なるプロの詐欺師」「ギャングで泥棒」CIAによる児玉の評価

 このように米国大企業の秘密代理人を務めたことから、児玉誉士夫はCIAとも太いパイプがあるのではないかとの噂もあった。戦後の占領期に米軍情報部門は反共のために元A級戦犯容疑者を含む日本の大物右翼あるいは元軍人などと接触して協力関係を結んだが、そのうちの何人かは後にCIAの協力者になった。児玉もその1人ではないかというのだ。

 実際に児玉は戦後、米軍情報部門の協力者だった有末精三・元陸軍参謀本部第2部(情報部)部長を通じて、米軍のために朝鮮半島や中国大陸との密輸ルートを使った諜報活動に手を貸した形跡がある。

 ただし、米側の児玉の評価は最悪で、CIAは児玉との協力を拒否している。CIAの機密解除文書では、当時の児玉の評価は「単なるプロの詐欺師」「ギャングで泥棒」とさんざんなものだ。

 つまり児玉誉士夫はCIAにはまったく相手にされなかった。しかし、彼は自身の「黒幕」像を権威付け、「フィクサー」としての価値を高めるため、「CIAにも顔が利く」との噂を利用したのかもしれない。

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