戦後日本の裏側では、政官財を動かす“黒幕”たちが静かに力を振るってきた。闇社会との関係だけでは語れない、金脈と人脈を駆使した彼らの実像とは――。

 ここでは、軍事ジャーナリスト・黒井文太郎氏の著書『日本黒幕大全 金脈と人脈で戦後80年を動かした怪物48人の正体』(徳間書店)より一部を抜粋。戦後最大級のフィクサーとして知られる児玉誉士夫氏の素顔に迫る。(全2回の1回目/2回目に続く)

写真はイメージ ©アフロ

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服役を繰り返したイケイケの右翼青年

 松本清張の代表作「けものみち」には、政財界から裏社会まで絶大な権力を持つ「黒幕」が登場する。米倉涼子主演のTVドラマでは平幹二朗が、昔の映画版では小沢栄太郎が怪演した。いかにも「ザ・黒幕」といった役どころだ。

 そのイメージに最も近い実在の人物といえば、やはり児玉誉士夫になるだろう。政財界だけでなく、裏社会にまで広く顔が利く大物右翼である。

 児玉は1911(明治44)年、福島県で生まれた。10代の頃から、右翼団体を転々とし、天皇直訴事件や国会ビラ撒き事件、閣僚脅迫事件などに連座して何度も服役している。当時20歳そこそこだった児玉は、まさにイケイケの右翼青年だった。その間、独自の右翼団体「独立青年社」を設立。首相暗殺計画を含む大規模騒乱未遂で逮捕されて、さらに服役した。

強引な物資集めを行った「児玉機関」

 その後、1937(昭和12)年の日中戦争開戦頃から、中国大陸に渡って外務省や陸軍の下請け業務に従事する。1941(昭和16)年の太平洋戦争開戦直前、笹川良一の手配で海軍省航空本部の嘱託となり、戦時中を通して上海でタングステンやコバルトなどの戦略物資の調達を行った。これが「児玉機関」である。

 児玉機関には大陸浪人崩れやアウトローな若者が多く、現地でなかば略奪に近い、かなり強引な物資集めを行った。そのため、児玉の手元には多くの戦略物資、さらにダイヤモンドやプラチナなどの貴金属があった。終戦時、児玉はそれらを隠匿。大量の貴金属を密かに日本に持ち帰ったのだ。