「自由民主党が結党された際にも、その裏で根回しを…」人脈を生かし政局で暗躍
終戦直後、児玉は古参の政界フィクサー・辻嘉六の働きかけで鳩山一郎(鳩山由紀夫の祖父)の日本自由党の結党資金を提供。その後、A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収監されるが、不起訴で釈放されると、再びフィクサーとして右翼活動を始めた。
培った人脈は、戦後まもなく長期政権を担った吉田茂のライバルに連なっている。前出の鳩山一郎、三木武吉、岸信介(安倍晋三の祖父)、河野一郎(河野太郎の祖父)などだ。
その人脈を生かし、児玉は数々の政局で暗躍した。吉田茂失脚の布石となった鳩山一郎と吉田内閣農相との極秘会談を仕掛けたほか、鳩山と岸が組んだ日本民主党結党や、さらに保守合同によって自由民主党が結党された際にも、その裏で根回しを行った。
岸政権末期に、自民党有力者の政権“談合”が行われ、次期首相と同義である自民党総裁の席に誰が就くかを話し合った。結果、大野伴睦、河野一郎、佐藤栄作(岸信介の弟)の順にという密約が結ばれた。この秘密会談の立会人を務めたのも児玉だった。
「暴力団絡みのトラブルの解決なら、児玉に仲裁を」
こうした政局だけでなく、当時の政財界中枢の非公式アドバイザーあるいは代理人として、多くの裏工作にも携わった。
たとえば、関係者が惨殺される事件まで起きた九頭竜ダム不正入札疑惑で、地権者と事業主との補償交渉の調停を行った。あるいは、日韓国交正常化交渉でも、韓国政府との裏調整を行っていたことが、韓国側の外交資料に明記されている。
戦後の黒幕の中でも、児玉は最も暴力団に深い人脈を持つ人物だった。戦時中に上海で暴れていた児玉機関に血の気の多い若者が多かったと前述したが、その中に岡村吾一という人物がいた。
この岡村が戦後、群馬・埼玉の博徒を束ね、暴力団「北星会」会長という任俠界の大物となったことで、児玉の裏社会への影響力が築かれた。この裏社会への太い人脈は、政財界からすると「暴力団絡みのトラブルの解決なら、児玉に仲裁を依頼すればいい」ということになった。
