野村克也に本音「私はまったく認めていない」

 広岡にとって、野村克也はどんな存在なのか?

 時折、彼が口にする「野村批判」を受けて、そんな質問をしたことがある。その答えは簡潔だ。

「私はまったく認めていない」

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 現役時代、監督時代を比較すると、いずれも広岡よりも野村の方が数字では勝っている。その点を指摘すると、さらに口調が強くなる。

「プロは結果がすべての世界だよ。そんなことは私もよくわかっている。しかし、だからと言って、何をやってもいいというわけではない。正しいことを、正しい方法で取り組まなければいけない。正しくないことをやって手にした結果をほしいとは私は思わない」

 広岡が口にした「正しくないこと」とは、前述したようにサイン盗みなどのスパイ行為を指しているのは明白だった。しかし、その証拠はない。さらに、それだけで27年間もキャッチャーとして、現役通算2901本ものヒットを打つことなどできないはずだ。もちろん、監督としても南海ホークスで1回、スワローズで4回もリーグ制覇を果たし、そのうち3度は日本一に導くことなどできないだろう。

 生前の野村にインタビューをし、その考え方に魅力を覚えていた私にとって、広岡の発言は素直に首肯できるものではなかった。野村が標榜した「ID(データ重視)野球」は、野球界に革命をもたらした「正しいこと」であり、「正しい方法」ではないのか?

広岡達朗の“愚直な正義感”

 監督通算勝利数は、広岡が通算で2球団8年、514勝に対して、野村は阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスも含めた4球団24年、1566勝となっている。記録だけ見れば、野村が広岡を圧倒している。決して広岡を貶めるつもり、軽んじるつもりはないけれど、この点を指摘しても広岡の考えは揺るがない。

「プロは結果がすべての世界だよ。私よりも野村の方が勝利数も多いし、優勝回数も多い。けれども、私は私の野球観に基づいて正しいことを、正しい方法で取り組んだ結果、ヤクルトでも、西武でも日本一に輝いた。何も引け目を感じることはないはずだよ」

 確かに広岡の言う通りだった。これ以上、広岡と野村を比較し、本人にそれを語らせることに何の意味があるのだろう。そう考えて、話題を変えようとすると広岡が言った。

「プロは結果がすべての世界だよ。でも、人生は結果がすべてではない。私はこれまで、自分の信じてきた道を進んできた。その点に関してはまったく恥じることはない」

 それが、広岡の持つ正義感だった。そして、この愚直な正義感が原因となって、これまで多くの軋轢を生んできたのもまた事実だった。

広岡達朗さん

「野村に嫉妬するはずがあるわけないだろう」

 話題を切り上げようと思いつつ、ついもう一つだけ質問を続けてしまった。

 2019年7月11日、小雨交じりの神宮球場ではヤクルト球団設立50周年を記念してOBたちによるスペシャルマッチ「SWALLOWS DREAM GAME」が行われた。一塁側「GOLDEN 90s」を率いるのは野村克也。三塁側「Swallows LEGENDS」を率いるのは若松勉である。生前の野村が最後にスワローズのユニフォームに身を包み、神宮球場に登場した忘れられない一日である。

 この日、すでに足腰も弱っていた野村は、愛弟子たちに支えられるように「代打オレ」で打席に立った。現役時代はパ・リーグひと筋で生きてきた野村が、非公式戦とはいえ初めてセ・リーグの試合で打席に立った記念すべき瞬間だった。

 しかしこの日、一つだけ残念なことがあった。華やかなお祭りムードの中に、「広岡達朗」の痕跡がほとんどなかったことである。『ベースボールマガジン』(2021年7月号)において、広岡はインタビューでこんな言葉を残している。

《球団創立29年目にして初のリーグ優勝、日本一へと導いたのは私だ。にもかかわらず、2019年に行われたヤクルト球団50周年記念イベントに呼ばれなかった。いったい私を誰だと思っているんですか?》

 まさにその通りだった。

――あなたも出場したかったですか?

 この件について尋ねると、広岡は憤然として答えた。

「当然だよ。ただ、足腰が弱っているから神宮には行けなかったけど、ビデオメッセージでも何でもいいから私も参加したかったよ。あの日、若松も、松岡も、安田もいたんだろう? 当然、行きたかったよ」

 無粋を承知で、「監督を任された野村さんに対する嫉妬もありましたか?」と尋ねると厳しい口調で一蹴された。

「野村に嫉妬するはずがあるわけないだろう」

 広岡の野村に対する思いが垣間見えたような、そんな瞬間だった。

<続きは書籍でお楽しみください>

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