1978年、ヤクルトスワローズが叶えた奇跡の日本一。“冷徹な監督”は優勝未経験の弱小球団をどう変えたのか。数年にわたる取材で名将・広岡達朗の過去と現在に迫った書籍『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』が発売される。93歳になった今も舌鋒鋭い評論活動を行う広岡達朗が、球史に残る名将・野村克也を認めなかった理由とは? 広岡による「野村批判」を同書籍のなかから紹介する。
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「データ野球なんて嘘」「野球にマジックなどない」
広岡の話を聞いていると、指揮官として彼が尊敬しているのは水原茂、川上哲治と西本幸雄であり、その一方で三原脩、そして野村克也については徹底的に否定していることがすぐに理解できる。評価の根拠は明白だ。
「水原さん、川上さん、西本さんは厳しさを持って、自分の信念を持って規律あるチームを作り上げた。でも、三原さんはどうだ? インチキばっかり。バックスクリーンから双眼鏡でサインを覗くスパイ行為ばかりしていた。盗聴器まで仕掛けていたという。それで本当に《名将》と言えると思うかい? 野村もそう。《データ野球》なんて嘘だよ。サイン盗みをする名将がいると思うかい?」
何度もそう問われた。そして決まって、広岡は言った。
「《三原マジック》という言葉があるだろう? 野球にマジックなどあるはずがない。マジックで勝てるのなら苦労はしない」
――あなたは盗聴器をはじめとするスパイ行為の証拠を見たのですか?
何度も、そう尋ねた。答えはいつも同じだった。
「直接は見ていない。けれども、○○や△△から、その方法を詳細に聞いた。彼らもまた三原さんから、スパイ行為のやり方を学んでいたという。コミッショナーの耳にも届いていたはずだ。どうして、誰も取り締まらなかったのか?」
――自ら取り締まろうとは思わなかったのですか?
「私は現役選手だよ。そんな権限はないし、そういう不正と戦って自分たちの強さを証明することを考えていた」
――現役引退後の評論家時代、あるいはコーチ、監督時代には?
「同じだよ。そういう連中に負けずに、自分の信じた正しいやり方で結果を残す。それだけを考えていたから」
もちろん、確たる証拠があるわけではない。けれども、広岡はスパイ行為の存在を確信し、同時に自らに言い聞かせていた。
(私は正々堂々、正しいやり方で結果を残してみせる)
「そんな優勝に価値があると思うかい?」
改めて問う。
――あなたがスワローズの監督時代、他球団はスパイ行為をしていたのですか?
「それはわからない。広島市民球場のバックスクリーンにはサインを覗くための部屋があると聞いたことがある。それで、実際に試合前に森(昌彦/現・祇晶)が自分の目で確かめに行ったこともある。証拠が見つかったわけではないけれど……」
現在、70代、80代を迎えている昭和のレジェンドプレーヤーの取材を続けていると、しばしば「1970年代のプロ野球界ではサイン盗み、スパイ野球が横行していた」という話を聞くことがある。真偽は不明だが、多くの者が同様の証言をしたり、言及したりしている書籍も散見されることから、そうした行為がなされていた可能性は高い。
広岡はこの問題について言及する際には、必ず色をなして語調が強くなった。
「正しいことをせずに勝利を得たとして、それが何になるというのだ。そんな優勝に価値があると思うかい? あるはずがないだろう」
正しいことを、正しい方法で行えば、必ず正しい結果が出る――。
それがモットーの広岡にとって、「スパイ野球」を許容できないのは当然のことだ。実際に三原が、そして野村がそうだったのかはわからない。しかし、少なくとも広岡は「間違いない」と確信している。自分が信じたやり方で、スワローズを、そして1980年代にはライオンズを率いた。
「私は私の信念にのっとって監督を務めてきた。その点については何ひとつやましいことはない。カンニングをしてまでテストに合格したいとは思わない。そんな消極的な思いは、できるだけ心から遠ざけて生きてきたのだから」
そして広岡は、いつも口にする言葉を発した。
「健全な肉体に健全な精神が宿るんじゃないんだ。健全な精神が健全な肉体を作るんだ。心の持ち方が、肉体にいろいろな影響を及ぼすんだ。肉体だけじゃないよ、その人の運命にも影響を与えるんだよ。だから人間は、どんなときでも心は断固として積極的な状態にしておかなければいけない。ズルいことをしたり、ラクをしたりしてはいけないんだ」
もちろん、広岡が長年にわたって師事する中村天風の教えである。
