『三頭の蝶の道』(山田詠美 著)河出書房新社

 かつて、文壇には「女流作家」がいた。虚構の粉をたっぷりまぶして、その存在を実像よりも鮮やかな像に結んでみせた。

 少し前まで、女性の作家が「女流」と呼ばれた時代があった。書く作品が男性作家より劣るとか、たくさんの色眼鏡で見られていた。戦前、その呼称を逆手にとって、女流文学者会を作り集まらねばいられない状況があったのだ。けれど2007年、その役割を終えたとして解散した。

 その時代を色濃く残す最後の3人の作家を、その謦咳に接することに間に合った若い作家、山下路美と、担当編集者、近しい人物たちが語っていく構成だ。

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 1人目は「伝統を踏襲するのではなく、その先の新境地に自分の筆を持って行って動かそうとする」河合理智子。2人目は「細やかな観察眼でとらえた情景は、繊細に描写され、そして、そこには哀切な空気が流れてい」る高柳るり子。そして3人目は、「文学界のみならず、世間一般にも広くその名を知られ」た森羅万里。いずれも「女が圧倒的に不自由な時代に、子を成すためだけではない性の有りようを描こうとして来た女たち」だ。

 あえて実在に照らし合わせれば、3人は河野多惠子、大庭みな子、瀬戸内寂聴であり、実のところそうではない。山下路美に仮託して、山田詠美が抽出した3人の真髄が息づいている。

 ともあれ、路美は「あの大妖怪の方たち」と3人を呼ぶ。思わず笑ってしまった。わずかに私も実在の方々に面識があったが、確かに妖怪だった。しかし山田の筆は、そんな感傷にとどまらない。

 理智子は普通の生活の傍ら、「文学を醸造する脳内の世界」では不道徳の限りを尽くして生きている。るり子は、童女のように一部の女性作家をくさしてやまない。けれど、作品は怜悧。「人間観察に必要な距離を測るためのスケールを(中略)文学のためにしか使わない」。万里は「作品のために都合良く過去を改竄」し、その一方で罪悪感を抱えている。その姿は、スキャンダラスですらある。

 作中に登場する別の若い作家がこう言う。「作家の才能は、人間をいびつにするものなの」。そのいびつさをいとおしみながら、核心に分け入るのだ。編集者や近しい人たちが担う役割もおろそかにせず、当時の雰囲気が匂い立ってくる。

 大妖怪たちのありようは、コンプライアンス意識が広がる現代ではもうなかなかお目にかかれない。小説とは、作家とは、コンプラとは別ものだと言うのもはばかられる時代だ。それにしても、山田がこの文学の残り香を書いてくれたことに感謝するばかり。近くにいた作家の特権、いや、責務とも言えようか。

 エピローグに、3人の作家をめぐるノンフィクションの話を置く。何か彼女たちが紗幕の向こうに行ったような、おぼろな姿になる。虚構の業(わざ)が極まっている。

やまだえいみ/1959年東京都生まれ。85年「ベッドタイムアイズ」で文藝賞を受賞し、鮮烈なデビューを飾る。87年『ソウル・ミュージック ラバーズ・オンリー』で直木賞を受賞。近著に『肌馬の系譜』、『もの想う時、ものを書く』など。
 

ないとうまりこ/1959年生まれ。毎日新聞の記者として書評をはじめ様々な記事を手掛け、現在は文芸ジャーナリストとして活動。

三頭の蝶の道

山田 詠美

河出書房新社

2025年10月16日 発売