私は1957年生まれの68歳。大学を卒業して選んだ仕事はスポーツ紙の野球記者だった。スポーツ紙時代には星野仙一監督の就任1年目の中日を担当。ロッテから移籍してきた落合博満内野手を、その後の巨人への移籍等も含めて取材したりもした。91年からは巨人担当キャップとして長嶋茂雄監督の誕生、松井秀喜選手の入団や伝説の1994年「10.8決戦」などエポック・メーキングな出来事の現場に立ち会ってきた。2003年にフリーとなり、日米を往復しながら週刊文春でニューヨーク・ヤンキースに移籍した松井選手のメジャー日記の連載を担当。05年からは「野球の言葉学」という連載コラムをかれこれ20年以上にわたって毎週、書き続けている。もちろん古い新聞記者の御多分にもれず、ずっと不健康で不規則な生活を続けてきた。それでも病気で連載を落としたこともなく、50歳を過ぎても60歳になっても身体はびくともしていない……と思っていた。

連載回数は700回を超える「野球の言葉学」

 しかし、そんな健康自慢の私の身体の中では、深く静かに変化が起こっていたのである。

この続きでは、筆者の鷲田氏に起きた変化、菊山先生との出会い、0期発見のための具体的な方法などを詳しくリポートしている。現在配信中の「週刊文春 電子版」では記事の全文を読むことができる》

次の記事に続く 星野仙一も高校時代の友人も膵臓がんで亡くなった…スポーツライターが膵臓がん“0期発見”の考えにたどり着くまで きっかけはエコー検査