児山 南さんは、脚本を読んで若者の感じをどう思いました?
南 ポップカルチャーとそれを愛する人にあふれた映画じゃないですか。そして、登場人物が愛しているそのポップカルチャーが、本人を何一つ救わないっていうところが、シビアな現実を映していると思いましたね。今時の若者、というよりはもっと広く、これが現実だということを強く感じました。
波木 僕は自分の中のスタンスとして、仮に原作とは180度違う脚本をご提示されたとしても、特に何も言わないと決めていたんです。でもその上で、映画としてものすごく面白いものになるだろうなと思える脚本をいただけて、そこからずっとワクワクしていました。原作を書いていたときも、やっぱり『台風クラブ』だとか『リンダ リンダ リンダ』みたいな青春映画の影響はあって、そういう映画に似た勢いを出したいなと思っていたんです。それをこんな青春映画にしていただけるなんて嬉しかったですね。お2人にとって一番印象的なシーンはありますか?
児山 難しいですね。でも好きということで言えば、朴秀美が屋上から飛び降りた後に、立ち上がって美流紅を見るカット、あそこはすごい好きですね。見たことがない南さんでした。
南 そうですか?
児山 すごい不思議な画で、手前に煙が来ているから、南さんにフォーカスが来ているのにボケてるようにも見える。そこへ顔にパンと光が当たっていて。で、南さんが笑うんです。「ここで笑うんだ」って思いました。まあ「笑う」って自分で台本に書いたんですけどね(笑)。
南 あの撮影の日はシチュエーションを変更したり、日が暮れたりもあって、時間がなかったんですよね。私としては「時間がない」っていう印象だったんですが(笑)、好きなシーンと言っていただけてうれしいです。私は映画のタイトルが画面にバーンと出るシーンが好きなんですよね。
児山 まだシナリオも完成していない2024年1月に一人で東海村を車で走っていたらあのシーンの十字路を見つけました。右にも左にも曲がれるけれど、信号を無視して直進するっていうことにも物語的な示唆がある気がして、ここでタイトルを出したいと決めたんです。スタッフの皆さんも東海村の方々も協力してくださったおかげで、あのシーンはめちゃくちゃいい感じに撮れました。
波木 僕もタイトルが出るところは大好きです。あとは後半の海辺のシーンですね。あれって舞台である茨城県の東海村で撮影しているんですよね。
児山 そう、東海村です。
波木 後ろに原発が見えて、ロケーションがすごいなと思いました。
児山 あそこはやっぱり、彼女たちが宅配を頼むところがいいですよね。僕もあれすごい好きかも。
南 私もあそこ好きです。本当に風が強かったですよね。
児山 風が強すぎて髪をうまくまとめられなくて、急遽帽子をかぶったんですよね(笑)。朴も美流紅も作中で帽子をかぶるシーンがあったんですが、岩隈の帽子がなかった。そうしたらたまたま見学に来てくれていた東海村の人が帽子を貸してくれて。みんなであれこれ吉田さんに帽子をかぶせて、岩隈の帽子選手権をやって、「これだわ」と決まったら、その持ち主の方も喜んで貸してくれました。
波木 全体を通して東海村での撮影はかなり多かったんですよね。児山監督は東京ではない地方を描くことについてはどう考えていましたか?
児山 ことさらにデフォルメしないようにしようとは思っていました。原作で文章だけを読むと、本当に息の詰まるような、何にもないすさんだ場所なのかと思っていたんですが、実際に東海村に行くと、道は整備されているし、駅も綺麗。だから地方都市のクリシェとしてではなく、東海村のリアルを描こうと思いました。足しもせず、引きもせず、ありのままの姿で。だからこそ、そこにはそこの生きづらさがあることを描けるだろうと思いました。僕の地元も大阪の田舎なんですが、そんな感じなんですよ。何もないけど、無人駅というわけではない。一見整っていて、でも何もない。
波木 今回映画の撮影現場を見学させていただく機会があったときに5、6年ぶりくらいに帰省したんですが、記憶よりもちゃんとした街になっていて、それは予想外でしたね。記憶とは全然イメージが違って、駅舎とか、駅周辺の道路とか、割と整備されていました。南さんは東京生まれですよね。
南 私は東京生まれとは言っても東京の端っこの端っこの端っこなんですけどね。でも地元では、どこにも行けないっていう閉塞感みたいなものを感じる瞬間って、あんまりなかったんです。むしろ地元を出て、もっと東京の都心に近づいてからのほうが息の詰まるような空気を感じるようになりました。
児山 都心には都心の、生きづらさがありますよね。
南 地元を出てすぐに住んだ家が、とんでもなく日当たりが悪くて(笑)。母が来ても、「部屋の隅っこに女の子がいる」とか言い始めて。
児山 それは南さんのことじゃなくて!?
南 違う違う、違うんです! 私は霊感なんてないのに、そんな私でも女の子の声が聞こえたりするような、とんでもない家だったんです。本当におかしくなるんじゃないかと思いながら暮らしていました。そこに住んでいるうちに、どこにも行けない、居場所がない、みたいな気持ちになりましたね(笑)。今はもう少し日当たりのいい家に引っ越したんですが、今回朴を作る上ではそのときの気持ちを思い出しながら頑張りました。
児山 そのときの気持ちが、作品には生かされたんですね(笑)。
南 そうですね。薄暗い部屋の閉塞感が役に立ちました(笑)。
波木 今回、映画ってどうやって作るんだろうということに単純に興味があって撮影を見学させていただいたんですが、一つのシーンのためにこんなに多くの方が動いているんだって驚きました。
児山 もう毎日撮りこぼさないように必死でした。時間との戦いで。充実していたし、振り返ってみると楽しかったですが、でも楽しいとか考える暇はないぐらい、すごい毎日でした。どうしたらいいんだっけって、ずっと考えて考えていた期間でしたね。どうにかなるか、とは思わず、突然アイデアが浮かんできても、不測の事態が起こっても対応できるように、とにかく考えていました。
南 私もめちゃめちゃ考えていました。素晴らしい原作があって、監督がいて、やっぱりこの映画を絶対に意味のあるものにしたいっていう思いが強かったので。朴ならどうするかな、どういう表情をするかなって、ずっと考えていました。
児山 南さんはもう、僕が何も言わなくても、朴として椅子に座るときに胡坐をかいたり、脚をかっと開いて座ったりしていらっしゃったのを覚えています。準備に入るとスイッチが入るものなんですか。
南 そうかもしれないですね。それでも最後に朴が1人でラップを歌うシーンは大変でした。撮影の1週間前くらいにシーンの追加が決まって、リリックをいただいたのは3日前だったんです。監督がたくさん考えて追加を決めたシーンだと思うのですが、どういうきっかけでそのご判断になったんですか?
児山 その節は無理を言って、すみませんでした(笑)。あれは、お2人が好きだと言ってくださった十字路のシーンを撮った夜がきっかけでした。撮影のあと、カメラマンの斉藤さんと照明の佐伯君とホテルに戻って、3人で話をしていたときに言われたんです。「終盤、3人が東京から東海村に帰ってくるシーンからラストの間って、なにか、ないといけないんじゃないですか」って。ギクッとしました。僕もずっとそう思っていたからです。それでみんなで話しているなかで、「ラップかも」って思ったんですよね。ラップって自分の話をすることなのかなと思っていて。朴秀美はラッパーとしては成功しないかもしれないし、上手いか下手かも分からないけれど、あそこで自分の話をするっていうことに、彼女のアイデンティティと重なる部分があるんじゃないかと。かつ映画がクライマックスに向かう上でも、朴はこんな風に思っていたんだとわかるシーンが必要だという気がしたんです。朴、美流紅、岩隈の3人の間にはおそらく絆のようなものが生まれていて、みんなその日々をとても大事に思っていて、でも彼女らはたぶんいわゆる親友とかというのではない。そこにはきっと朴なりの覚悟があった、ということをきちんと描きたいと思ったんです。それで、撮影中に歌詞を書いて、それを音楽の荘子itさんに直してもらい、ビートも付けていただいて、撮影の3日前に南さんに渡して覚えてもらった、ということなんです。でも終わった後、南さんに「あのシーンがなかったらどうするつもりだったんですか」って真顔で言われて。ということは、いいと思ってくれたってことですよね?(笑)正直あのときどうでした?
南 私、セリフ覚えが早い方ではないんですよ。暗記力が低くて覚えることがそもそも苦手で。だから3日前にリリックが送られてきたときには、正直「ええ、どうしよう」と思いましたよ。移動中もずっとリリックを覚えるのに必死で、覚えなきゃと思うあまり、あんまり寝れませんでしたね。1週間前くらいにシーンの追加自体は聞いていたんですが、5日前になっても4日前になってもリリックがなかったので、「そろそろ覚えられないですよ!」ってお伝えしてはいました。でも、それが最終的には本当にいいシーンになってよかったです。



