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「あった」はずのものが「なかった」論法

 まだある。

「岸田氏の安倍首相との会談、菅氏が否定」(朝日新聞デジタル 7月25日)

《自民党の岸田文雄政調会長が党総裁選への立候補見送りに絡み、安倍晋三首相と23日に会談したと説明したことについて、菅義偉官房長官は25日の記者会見で「(首相は)会ったことはないということだった」と否定した。岸田氏は立候補見送りを表明した24日の記者会見で「昨日(23日)直接会って、(首相と)話をした」と説明している。》

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「あった」はずのものを「なかった」とひっくり返す態度と既視感が続く。それはうそじゃないの? 

 というツッコミや疑問も力ずくでねじ伏せられていく感覚。

©AFLO

「現代のうそ」とは何か?

 こういうのが続くと受け手はどうなるか。次の記事が読ませた。

「冷笑主義、社会覆う? モリカケ疑惑、白ける有権者」(朝日新聞 7月23日)

 政治思想家ハンナ・アレントが「伝統的なうそ」と区別した「現代のうそ」という概念が今を読み解く助けになるという。

《伝統的なうそは、まず正しい現実があることを前提としてそれを隠すことを言う。一方、現代のうそは、「何が現実なのか」という基準自体を破壊する。》

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 つまり、

《うそに合わせて現実が破壊されることが横行すると、政治の土台が覆され、市民はシニシズム(冷笑主義)に陥っていくという。》

 冷笑主義になったら負け。やはり、いちいちギョッとしたりイジっていくしかないのである。