パリコレに出演するためには、まずはパリのモデル事務所に所属する必要があるのですが、ラウールさんは約30社の事務所に審査落ち。

 なんとか所属事務所が決定するも、そこがゴールではありません。次に各ブランドが行うモデルオーディションに合格する必要があるため、ラウールさんは単身渡仏。1シーズンに1ブランドもランウェイを歩けないモデルも多数いるという狭き門で、ラウールさんも15のブランドから落とされ続けていました。

オーディションに落ち続け…

 オーディションに落ち続けていた日々は、人生でもっともきつかった1カ月だったそう。諦めて日本に帰ってしまおうと弱気になる日が続き、パリから東京直行便のフライト情報を毎日調べていたことや、この密着ドキュメンタリーの制作中止を正式にお願いしようかと考えていたことなど、赤裸々に吐露していたほどです。

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 そしてドキュメンタリーの終盤、ラウールさんはこんなことを語っていたのです。

「結果がついてきたかどうかっていうのは、挑戦にとって、ほとんど価値のないことかなっていうのを勉強できた。どっちも経験したから。結果がついてこなかったことも経験して、結果がついてきたことも経験したときに、結局はその期間にずっと成長があれば、もうそれがすべてっていうか。

『愛の、がっこう。』公式Xより

 これはきれいごとではなくて、とにかく高みを目指そうと思うんだったら、結果っていうのは意外と関係ないのかなって。よくだから、まさにこういうドキュメンタリーで、きれいごとのように聞こえてしまっていたことを、今自分が言っちゃってるなっていうね(笑)」

 かつての自分がきれいごとじゃないかとうがった見方をしていたような言葉を、きれいごと抜きで語れるほど達観したということでしょう。

 さらに筆者が驚嘆したのは次の言葉。

「10年後ね、32歳で『22歳の1日』を買えるんだったら、すごい高いお金払うと思うんだよ。そういう日を過ごさないとな。うん、後悔なく生きたい」

『愛の、がっこう。』で見せた“俳優・ラウール”、そしてミラノ・パリコレクションで示した“モデル・ラウール”。2025年はその両輪で、さらなる飛躍を遂げていました。

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