ブレーキをかける想像力
続く第1章では、天童ショージや奥田美月を叩いた83人の「加/被害者たち」のうち数人の悲鳴が、視点をスイッチしながら矢継ぎ早に描かれていく。第2章以降は、京都の山城法律事務所に勤める弁護士・久代奏が主人公となって進む。名誉毀損罪で逮捕された「宣戦布告」のブログの投稿者・瀬尾政夫を弁護することになった奏は、関係者を訪ね歩き、被告人の罪を軽くするための情状証拠を集め始める。その過程で、奏は被告人の人生に触れていく。なぜ瀬尾はこんな事件を起こしたのか? その「謎」を巡るミステリーとして始まった本作は、後半に至りレールから外れる。著者インタビューをした際、塩田はこんなふうに語っていた。
「前半は徹底して写実的に書いていったんですが、写実的なだけならばノンフィクションでもいい。フィクションだから、小説だからこそできることは何かと考えて、リアリズムからリリシズムへと後半でスライドさせました」(ダ・ヴィンチ2025年7月号)
そこで現れていくのは、週刊誌の記事やSNSのタイムラインに流れてくる表面的で断片的な情報からは決して見えてこない、複雑な背景や事情を伴う個々のさまざまな人生だ。誤解を恐れずに記すならば本作における「謎」は、さまざまな人間を登場させ、未知なる人間性を掘り当てるための装置だ。ミステリーを書きたいのではなく、社会を書きたいのであり、小説を書きたい。ミステリーはそのための手段の一つなのだ、と著者は自覚したのではないか。
つまり──社会派ミステリーから、社会派小説へ。『存在のすべてを』を端緒に、『踊りつかれて』をもってそのシフトチェンジは完了した。しかし、『踊りつかれて』には初期作品の「笑い」の感触が復活していたことからも明らかなように、今後も小説を構成する要素の配分をさまざまに変えながら、書き手は進化し変身していくに違いない。最後に、『踊りつかれて』刊行時のインタビューからもう一言引用したい。
〈現実であらゆる人のことを知ることはできません。だからこそ、実在を想像するってことが大事なんです。そっか、自分の人生と同じように、他人には他人の人生があるんだと想像できた時に、ブレーキがかかる。自分の意見を補強してくれる、自分を心地良くしてくれるようなテクノロジーに何の疑問もなく乗っかることはとても怖いことなんだよと、今小説で言っておきたかったんですよ。そうすることで、何かがほんの少しでも変わるはずだと僕は信じている〉
デビュー作刊行時に〈「熱くなれよ!」というメッセージを伝えたい〉と、人生においてアクセルを踏む重要性を語っていた作家が、ブレーキをかける想像力の意義を最新作に込めた。何よりもこの事実に、作家の変化とともに、時代や社会の変化が象徴されている気がしてならない。
今、は常に更新される。今がどんな時代で、今の社会にはどんな問題があるのか。そのことを知るために、塩田武士の作品をこれからも読み継いでいきたい。
