伝統は、意外にもろいものなのである。
辞書で「伝統」という言葉の意味を調べてみると、「ある民族・社会・集団の中で、思想・風俗・習慣・様式・技術・しきたりなど、規範的なものとして古くから受け継がれてきた事柄。また、それらを受け伝えること」(『デジタル大辞泉』)と出てくる。
ポイントは、「古くから受け継がれてきた」というところにある。
この辞書では用例として、「歌舞伎の伝統を守る」と「伝統芸能」があげられている。歌舞伎は江戸時代の初期にはじまるものだから、400年以上の伝統がある。
伝統芸能全般ともなれば、雅楽や能楽も含まれるわけで、そちらの歴史は歌舞伎よりもさらに長い。
何かの習慣やしきたりがあったとき、なぜそれを守らなければならないのかと疑問を呈すると、「それが伝統だから」だという答えが返ってきたりする。
尋ねた側は、そんな答えでは納得できないと思いつつも、伝統を持ち出されると、さらなる反論が難しくなってくる。それだけ、伝統という言葉には重みがあるわけである。
しかし、伝統が本当に古くから受け継がれてきたものかどうかは、かなり怪しいところがある。
世界一高い日本の火葬率99.97%
まず伝統のもろさを示す良い例がある。それは、西日本のある町で起こった出来事である。
今では、日本全体に火葬が普及している。火葬率は99.97パーセントに達した。これだけ火葬率が高い国は他にない。日本は世界随一の「火葬大国」である。
ところが、それほど昔とは言えない時代には、土葬が珍しくなかった。私は、1980年代初頭に、山梨県内の山村の調査に携わったことがあるが、その村は土葬で、火葬はまったく行われていなかった。
現在でも、土葬が法律で禁じられているわけではない。ただ、自治体の条例で制限されている。また、土葬をしようにも、その土地を確保することが難しい。それでも、ごく一部、火葬場が遠い山村部で土葬は行われており、それが残りの0.03パーセントという数字に結びついている。そのなかには、船員法で認められた水葬も含まれるが、大半は土葬である。
ここで問題にする西日本のある町では、平成の時代になってもまだ土葬が続けられていた。しかも、土葬一色だったのだ。
その町のある住民が、他の地域ではとっくに火葬になっているということで、父親が亡くなったとき、火葬を選択した。町には火葬場がなかったので、少し離れた町にある火葬場で荼毘に付したのである。