人が亡くなったとき、現在の日本では99.97パーセントが火葬にされる。しかし、数十年前までは土葬も普通に行われていたことをご存知だろうか。あるいは、覚えているだろうか。

 ここでは、宗教学者の島田裕巳さんが葬式や墓の在り方について、前提に疑問を投げかける『無縁仏でいい、という選択 墓も、墓じまいも、遺骨も要らない』(幻冬舎新書)から一部を抜粋して紹介する。

 火葬で当たり前と思っていると驚いてしまう、西日本のある町で起きた“まさかの炎上”とは――。(全3回の1回目/続きを読む)

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画像はイメージ ©graphica/イメージマート

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「伝統」を守らねばならぬ理由は「それが伝統だから」

 葬式や墓のことは、伝統に根差すもので、これまではそう簡単に変わらないと考えられてきた。

 実際、私もそのように考えてきた。したがって、拙著『葬式は、要らない』の「おわりに」の部分では、次のように述べていた。

 しばらくのあいだは、人口構成の関係で死者の数が増えていく時代が続く。そのために、急速にその事態が顕在化していくことはないかもしれないが、死者の数が減少するような時代になれば、一気に事態は変わるかもしれない。

 ここで言う「その事態」とは、葬式無用の流れのことをさしている。本を執筆していたのは2009年の年末ということになるが、その時点で、私は、これほど葬式をめぐるしきたりが変わってしまうとは、予測していなかったのである。

 2023年における死者の数は157万5936人だった。この数は、ここのところ年々増えており、今から15年後の2040年には168万人でピークに達すると推定されている。私は、2009年末の時点で、その時期に至らなければ、葬式無用の流れは加速されないと考えていたわけである。

 私の予測は見事に外れた。