すると、住んでいる町の住民から、「火葬なんてとんでもない。それは地域のしきたりに反している」「おじいさんが火にあぶられるなんて、なんて残酷なことをするのだ」「さぞかし熱かったろう」と、激しく非難されることになった。火葬したことで、今風に言えば、文字通り「炎上」したわけである。
その後も、その家はとんでもない、おじいさんにひどく可哀相なことをしたと、ことあるごとに非難されていた。
ところがである。
土葬の伝統があっけなく崩れ去った瞬間
20世紀の終わりに起こった平成の大合併で、周辺の4つの町が合併して市になった。
その直後に、新しい市に火葬場が新設された。
すると、土葬がしきたりだと強く主張していた町の住民も、死者が出れば、火葬するようになった。火葬した家を非難したことなど、すっかり忘れてしまったのだ。
そして、その町の住民だった年寄りは、今では、「土葬はきつかった」「遺体を埋めるための穴掘りが大変だった」などと言い合っているらしい。
伝統とはそのようなものである。
数十年前には、土葬が当たり前で、特に地方ではその割合が高かった。ところが、私が調査に携わった山村でも、今ではすべて火葬になっている。土葬から火葬への切り替えは、急速に進んだ。あっけないほど簡単に、伝統は崩れ去ったのだ。
今では、「土葬なんて恐ろしい」「衛生上問題があるのではないか」と言う人も増えてきた。
最近では、日本でもイスラム教徒が増え、日本で亡くなる人もいる。ところが、イスラム教徒は、火葬を嫌う。聖典であるコーランに「地獄では火に焼かれる」といった描写があり、それが連想されるからだ。そこで、土葬を望むのだが、その用地を確保することが難しくなっている。事情は複雑だが、周辺住民が土葬を好まなくなっていることも一因になっている(そのあたりのことについては、鈴木貫太郎『ルポ 日本の土葬 増補版』〈合同会社宗教問題〉で詳しくふれられている)。
6世紀、日本に正式に仏教が伝えられてから、徐々に火葬が増えていくのだが、戦後になるまで、それが増加するスピードは緩やかだった。私たち日本人は、それこそ何千年にもわたって土葬してきたにもかかわらず、現代になってあっさりとその伝統を手離してしまったのだ。
