新人時代の評価はKENSOのほうが全然上
――武藤さんから見て、新人時代の棚橋さんっていうのはどんな印象でしたか?
武藤 かわいい顔をして、いいボディをしていたな。考え方がストイックで、巡業中のハードスケジュールの合間を縫ってプロテインやサプリメントを決まった時間に飲んで、あの時代としては近代的な肉体づくりをしていたよ。トレーニングでも合理的な練習をしてたりさ。
――棚橋さん自身、新弟子時代から「自分以上に体づくりの知識を持ったレスラーはいない」って自負していたようです。
武藤 ただ、プロレスで必要とされるのは、棚橋が思っているような体だけじゃないからね。当時でいえば、同じくらいの時期に入ったKENSO(鈴木健三)のほうが体は大きかったし、レスラーとしてのビジュアルはよかったもん。
――レスラーらしいガタイのよさをしてましたよね。
武藤 ボディビルダーじゃねえんだからさ。俺らはプロレスで訴えなきゃいけないなかで、当時はラグビーの元日本代表という肩書きと、あのデカいルックスを含めたら、最初の頃はKENSOのほうが全然上に見られていたよ。
――実際、プッシュも全然違いましたからね。
武藤 俺はKENSOがどこまでプッシュされていたかは知らねえけど、性格的にも、もしかしたらハチャメチャなKENSOのほうが向いている業界だよな。ただ、あいつの場合は変わりすぎていたから、レールからちょっと脱線していったけど(笑)。
――長州力現場監督時代までの新日本に合ってたのは、KENSO選手だったかもしれないですね。立ち姿だけでも違うし。
武藤 アイツはなんだかんだいってWWEに行ったり、メキシコでも第一線でそこそこやってたじゃん。それは彼の努力もあるわけであってね。
もし、あそこで棚橋がWWEやメキシコに単身行っていたら、どこまで行けたかはわからない。
――あれぐらいの背格好で飛ぶレスラーは、他にもたくさんいるでしょうからね。
武藤 そうそう。
――今、日本のプロレスとアメリカのプロレスに違いはほとんどなくなってきてますけど、棚橋選手が現代のプロレスを先取りしていた感はありますか?
武藤 いや、たぶん猪木さん、藤波さん、長州さん、あとは俺ら闘魂三銃士ぐらいまでは、それぞれ個性の強さでトップに上がっていったという部分があるんだよ。棚橋の場合、それ以降の新日本全体でつくり上げたスターなんだよな。そこがいちばん違うよ。
――なるほど。たしかに90年代までは、みんなで一人のスターの神輿を担ぐというより、みんなが足を引っ張り合いながら神輿の奪い合いをしていたというか(笑)。
武藤 そうそう。自分以外のヤツを神輿に乗らせたりしたら、「こんな会社、いつでも飛び出してやる!」ぐらいの気概があったからな。だから結局、みんな出ていったんだけど(笑)。
――ものの見事にみんな出ていって、自分で神輿つくっちゃいましたね(笑)。
武藤 最終的には猪木さんまで出ていってるんだからな。それ以降から、新日本を始め、日本のプロレスも変わったんだよ。会社が一丸となってスターを売り出すというね。そうやって生まれた最初のスターが棚橋じゃないかな。
――ファイトスタイルというより、プロレス団体の選手のプロデュース方法がアメリカンスタイルになったという感じですかね。
武藤 そういうことだよな。アメリカなんかは30年ぐらい前に、誰でもスターにできるっていう土台をつくったところがすごいよ。アルティメット・ウォリアーなんか、俺もアメリカで一緒だったことがあるけど、なんにもできなかったんだから(笑)。
――ディンゴ・ウォリアー時代ですね(笑)。
武藤 でも、誰でもスターにするためには、周りにグッドワーカーが必要であって、棚橋の場合も彼自身の才能と努力の他に、周りの協力があってあれだけのものになっただろうと思うよ。