史上最悪の少年犯罪と呼ばれる綾瀬コンクリ殺人。被害者の女子高校生が亡くなったのは、37年前の1月4日だった。果たして加害少年たちはその後、どんな人生を歩んできたのか。執念の取材で明らかになったのは――。
「ご無沙汰しています」
最後に会ったときと変わらず、低音で落ち着いた声が聞こえてきた。
2024年7月22日夜。札幌の自宅でくつろいでいると、私用のスマートフォンの着信音が鳴った。電話の主は、女子高校生コンクリート詰め殺人事件(以下、綾瀬事件)の準主犯格Bの義兄だった。
20年ぶりに聞く声だ。かつて私は義兄に取材を重ねていた時期があった。久しぶりの連絡は一体、どのような話なのか……その意図を探りながら互いの近況を伝え合ったのち、義兄から思いもよらぬ告白があった。
「Bは死にました」
私は言葉を失った。
◇
1989年3月29日、東京都江東区若洲で、ドラム缶にコンクリート詰めにされた女性の遺体が発見された。被害者は埼玉県三郷市に住む17歳の女子高校生X子さん。事件に関わったのは主犯格A(18)、準主犯格B(17)、自宅が監禁場所となったC(16)、監視役のD(17)、監禁中に暴行に加担したE(16)とF(16)ら当時16歳から18歳の少年たちだった。
前年11月25日、通りかかった見ず知らずの女子高校生をAが強姦目的で連れ去り、40日間にわたって足立区綾瀬のCの自宅の一室に監禁した。連日に及ぶ強姦、顔面や体を殴りつける、ライターで皮膚をあぶる、食事を与えないなど非道の限りを尽くした挙句、89年1月4日、彼らは女子高校生を殺害。遺体をドラム缶に入れてコンクリート詰めにし、空き地に棄てたのだ。
AからDの4人は刑事裁判で実刑判決が下り、暴行に加わったものの、関与の度合いが低かったEとFの2人は少年院送致となった。
私が綾瀬事件の加害者の取材を始めたのは00年。テレビ朝日『ニュースステーション』でディレクターを務めていたときだった。その頃、凶悪な少年犯罪が頻発し、少年法改正の是非が国会で議論されていた。それまでもメディアは犯行の詳細や裁判の経過についてはさかんに報じていたが、その後少年たちが更生したか、被害者に真に償いをしているのか報じることはほとんどなかった。
法改正や事件の防止を考えるためには、彼らが出所後、社会でどのように生きているのか知ることが必要ではないか……。そう思った私は「凶悪な少年犯罪の原点」でもある綾瀬事件の加害者を取材しようと決めた。
《この続きでは、Bが亡くなった経緯や「両親と義兄の告白」など綾瀬事件のその後を詳しく報じている。記事の全文は現在配信中の「週刊文春 電子版」および1月8日(木)発売の「週刊文春」で読むことができる》


