史上最悪の少年犯罪と呼ばれる「綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件」。たった7日間しかなかった昭和64年(1989年)の1月4日に被害者のX子さんは命を落とした。その日から今日でちょうど37年が経つ。
事件から11年後、「ニュースステーション」ディレクター(当時)で、現在は北海道放送(HBC)報道部デスクを務める山﨑裕侍氏は、集団強姦に関与し少年院送致となった元少年・Fに接触した。刑を終え、家庭を持ち、社会の中で生活する彼は、事件とどのように向き合っているのか。山﨑氏の著書『償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って』より一部を抜粋して紹介する。(全3回の1回目/続きを読む)
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少年院送致だったFに接触
2000年8月、綾瀬事件の資料や周辺取材で彼らの現在の住所が少しずつわかってきた。だが、直接の取材は極力慎重にならざるを得なかった。事件の加害者だからといって、法的には処分が終わり、今は一般市民だ。形式上は「罰は受け終わった」「罪は償った」と言える。もちろん被害者に対する罪は一生消えることはないが、法を超えて制裁を科すことはできない。
もう一つ難題があった。彼らに話してもらうためには心を開いてもらう必要があった。いきなり直撃しても驚いて拒絶されるだろう。そもそも心を開いてもらうために信頼関係を築くことができるのだろうか。考えれば考えるほど、取材は実現不可能に思えてくる。しかし考えてもしょうがない。まずは現場に行こう。そして会ってみよう。すべては第一歩から始まるのだし、その選択以外になかった。
最初に選んだのは、集団強姦に加わり、少年院送致となったFだった。Fは事件から9年後、フリーライターの藤井誠二氏の取材を受けていた(「女子高生コンクリ詰め殺人事件の少年達は今(下)」『創』1998年8月号)。マスコミには免疫があり、僕の取材に応じてくれる可能性はまったくゼロではなかった。
藤井氏のルポによると、Fは関東近郊に住み、新聞配達員をしている。事件にどのように関わったのか詳細を告白している。少年院を出たあとも「被害者のことを思わない日はない」と語り、反省している様子が読みとれた。27歳になったFは東京との県境に位置する都市のアパートに住んでいるはずだった。まずは本人が本当にそこにいるかを確認しなければならない。だが、僕は彼の顔を知らない。どうやったら本人とわかるのか?
