Fへ手渡した手紙
前略、突然の手紙失礼いたします。
私はテレビ朝日『ニュースステーション』という報道番組でディレクターをしている者です。
私は11年前に綾瀬で起きた事件を取材しています。
ここまで書けばこの手紙の趣旨はお分かりになるかと思いますが、最後まで読んでいただければ幸いです。
あの事件は、人々の間でもいまだに記憶に新しく、その衝撃は色あせる事はありません。そして、少年犯罪が起きるたびに、週刊誌などで取り上げられます。事件では1人の尊い命が失われ、そこに関係したすべての人々が傷つきました。私がこの事件の「その後」を取材しようと思ったのは、昨今多発している少年による犯罪を報道しながら、様々な疑問が解消されないまま、さらなる事件が後を絶たないからです。
なぜ少年たちは同じような過ちを繰り返すのか。
罪を犯した少年たちはその後どのような人生を送るのか。
そんな時、いわゆる「現在の少年犯罪の原点」と言われる(関係者にとっては辛い表現だと思いますが)、11年前の事件を思い起こしました。
そこから私たちが学ぶべきことがあるのではないかと考えたのです。
学ぶべきこと─。
それは事件を生み出す私たち社会や大人たちにとっても、罪を犯した少年たちにとっても、そしてこれから罪を犯すかもしれない少年にとってもです。
なぜ、あの事件が起きてしまったのか、どうすれば防げたのか、事件によって自分が失ったもの、また影響を与えたものは何なのか。私たちが学ぶべきことは少なくありません。(略)
最近の週刊誌では「少年たちは反省もしていないし、更生もしていない」というような悪意に満ちた報道がされています。
果たしてそうなのでしょうか。反省や更生は、他人が簡単に判断できるものではありません。このような安易な報道は、事件の当事者たち(加害者も被害者も含め)を傷つけるばかりか、社会に間違った感情や印象を与えるのみです。
私たちはもっと素直に、真摯に当事者の声に耳を傾けるべきでしょう。
シジフォスは重い岩を山の頂へと運ぶ。すると岩は自らの重みで転がり落ちてしまう。シジフォスは再び岩を山頂に運ぶ。するとまた岩は転がり落ちる。シジフォスは休みなく何度も岩を運ぶ。神々がシジフォスに科した刑罰は、どこまでも果てしのないものだった。
この事件を取材しようと思ったときに、私の脳裏に浮かんだのは、この「シジフォスの神話」のイメージでした。
罪を償うという事はどういうことなのでしょう。
F様が取材を受けた藤井誠二氏の記事を読ませていただきました。X子さんを助けてあげられなかったこと、そして自分だけを守ることしか考えていなかったことが書かれています。
人が持つ弱さと持つべき勇気をF様は強く感じられたのでしょうか。
「一番大事な事は自分がやってしまったことを忘れてはいけないということです」
この言葉に私はある種、救われる気持ちがしました。忘れてしまうこと、それは人々の記憶から消えることであり、つまりは事件がまるでなかったかのように時が過ぎていくことです。
私はこれまで少年犯罪の被害者の遺族を取材した経験から、事件を、被害者を忘れてしまうことが、さらなる悲劇となることを知りました。F様は「僕の原点に戻る」と書かれていますが、それは自分自身のためだけでなく、被害者にとっても大切なことだと思います。忘れないことは被害者の供養へとつながるのかもしれません。
この手紙を受け取って「そっとしておいてほしい」という思いになることは私も想像できます。今の静かな暮らしを私の存在が脅かすのではないかと不安に感じられることも分かります。
しかし、私はあえて御無礼を承知で筆を執らせていただきました。私自身のためでなく、まして番組のためでなく、二度とこうした悲劇を生み出さないよう、私たち社会のために語る勇気を持っていただくことはできないでしょうか。
10代の少年たち、その子どもを持つ親たちが学ぶべき事はたくさんあるのです。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、私の本当の気持ちです。事件のこと、少年院でのこと、その後の生活、償いについて、今の心境、最近の少年犯罪についてなど可能な範囲で構いませんので、お話を聞かせてください。
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