1988~1989年にかけて起きた史上最悪の少年犯罪「綾瀬女子高生コンクリート詰殺人事件」。すでに事件から35年経った今もそこに住み続ける住民たちは何を思うのか? ノンフィクション作家の八木澤高明氏の新刊『殺め家』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

事件現場近くを流れる綾瀬川(撮影:八木澤高明)

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「女子高生コンクリ殺人事件」の現場に足を運ぶと…

 2009年の初めから、事件の現場となった足立区綾瀬を私は幾度となく歩いている。綾瀬駅で降り、現場となった家へと向かう。近年、綾瀬駅周辺は千代田線が直接大手町方面へ乗り入れていることもあり、子育て世代には、人気のある住宅地となっているという。事件が起きたのは今から30年ほど前のことだから、家を求める世代からしてみれば、過去の事件に引きずられる気持ちは希薄になっているのかもしれない。

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 パチンコ屋が目につく駅前の商業地域を抜けると、すぐに街の風景は住宅街となる。すると突然視界にラブホテルが現れ、その横には子どもたちが遊ぶ公園がある。あまりにアンバランスな景色に何ともいえぬ気持ちになる。

 ここ綾瀬周辺は、高度経済成長期に入るまでは、水田地帯だった。宅地となる前に東京の外縁部にあたるこの辺りにはラブホテルが建ち、その後宅地化されたのだろう。それにより、一見すると野放図な景色が生まれた。

 駅から、15分ほど歩いただろうか、湊の家があった住宅街の一角に出た。すぐ前には公園がある。家は事件後取り壊されているが、区画は当時のままである。

 駅からここまで歩いてくる間、子供連れの若い女性が目についた。彼女たちの年齢は30代から40代だろう。事件のことは知っているに違いないが、どんな思いを抱いているのだろうか。

「うちは昭和47(1972)年にこのあたりの分譲住宅を買ったんです。4月に入居して、その一ヶ月か二ヶ月後にあの一家が移ってきました。あそこの家は当時の値段で1200万円ぐらいだったと思いますよ」

 言葉の端々に東北訛りが残る近所の住民が、湊一家がこの土地へやってきた頃のことを覚えていた。

 湊の家は取り壊されていると先に書いたが、事件当時、彼らが玄関を使わず直接二階から出入りするために使っていた電柱は、いまも家に寄り添うように残っていた。