1945年、群馬県の山村で起きた連れ子殺人・人肉食事件。犯人である女性が逮捕されたあとも、残された家族はその村に住み続けた。なぜ村人たちは加害者家族を受け入れ、今も同情を止めないのか…? ノンフィクション作家の八木澤高明氏の新刊『殺め家』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

一家の墓。事件を起こした母・龍と、娘・トラの名前は墓誌になかった ©️八木澤高明

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「食っちゃった」

 事件は1945年10月、村に駐在していた巡査が村人の戸籍調べをするために一軒、一軒をまわり、山野朝吉の家も訪問したことから発覚した。その時、トラの姿が見当たらないことが気にかかった巡査が安否を龍に尋ねると、

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「前橋に子守りに出ていて、8月5日の空襲で焼け死んだ」

 特に感情の起伏も見せずに龍は言うのだった。もし死んでいるのなら、死亡届が出ているはずだ。巡査は朝吉の家を出て、その足で役場に向かうと、村長は空襲で焼け死んだという話は聞いているが、死亡届が出ていないと言った。不審に思った巡査が再び尋ねると、最初は前回と同じく空襲で死んだと言っていたが、にわかに証言が変わった。

「トラは病気で死んで、庭に埋めた」

 空襲で死んだのではなく、家で死んだのであるなら、何らかのトラブルがもとで殺害された可能性もある。龍と朝吉は警察署に呼び出され尋問を受けることになった。

「食っちゃった」

 はじめは食い物がなくて栄養失調で死んだと言っていた龍が、ぽつりと洩らしたのだった。