2013年9月21日、山口県の限界集落で起きた連続殺人事件。現場は8世帯14人が暮らす山間の限界集落で、なんと住民の3分の1である5人が犯人によって撲殺。このおぞましい事件はなぜ起きたのか? 生き残った住民たちは何を思うのか? ノンフィクション作家の八木澤高明氏の新刊『殺め家』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

犯人の保見光成が暮らしていた家(撮影:八木澤高明)

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現代の八つ墓村で起きた連続殺人事件

 現代の八つ墓村とも言われる山口県周南市金峰地区郷集落でおきた連続殺人事件。現場は8世帯14人が暮らす山間の限界集落だった。

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 犯人の保見光成は、中学卒業後に故郷を離れ、神奈川県川崎市内で左官業を営んでいた。川崎で暮らしていた当時は、麻雀が好きで、牌の中から取って、本名の光成ではなくて、中と名乗っていたという。ひと付き合いも悪くなく、気さくな性格であったという。事件を起こす15年前に故郷である周南市金峰に両親の介護をするために戻ってきた。44歳で村へと帰って来た保見は、当初村の集まりにも顔を出し、高齢者が多い村の中で農作業を手伝い、村おこしも企画するなど、積極的に村人たちと関わっていたという。ところが、両親が亡くなった頃を境にして、次第に村人たちとの間にトラブルを抱えるようになっていった。

 集落の中で孤立感を深めていき、ほとんど村八分のような状態になった保見は、2013年9月21日午後9時、自宅から西へ50メートルほど離れた貞森さん宅から火をつけ、貞森誠さん(71歳)と喜代子さん(72歳)を殺害する。時を同じくして、自宅の隣りに暮らしていた山本ミヤ子さん宅にも侵入し、殺害後火をつけた。その翌日には、自宅の目の前を流れる川の対岸にある石村さん、河村さん宅へ向かい、河村聡子さん(73歳)、石村文人さん(80歳)を殺害した。5人を鈍器のようなもので、頭部を殴り殺害したのだった。

 事件発生から約5日後の7月27日に、保見は郷集落の人里離れた山中で、上半身裸、下着姿でいるところを警察に拘束された。

 2015年9月。果たして、事件にはどんな背景は存在したのか、山口県周南市金峰にある郷集落へと向かった。

 山口宇部空港から周南市金峰へ、中国自動車道の鹿野インターチェンジで車を下りて一般道を走ると、すぐに道はつづら折りの山道へと入った。道路脇の谷に目をやると、放棄された廃田、崩れてしまった茅葺き屋根の家など、限界集落どころではなく、崩壊した集落の無残な姿が、容赦なく目に飛び込んできた。30分ほど日本社会の末路とも言うべき姿を目にしながら、走っただろうか、途中一台の車とすれ違っただけで、郷集落へと入った。集落の入り口にあったのが、保見が暮らした家だった。