1972年にこの地へと引っ越してきた湊の一家。ちょうど湊が生まれた年のことである。
共産党員だった両親は躾も厳しかったというが、いつしか湊は道を外れていった。
それにしてもなんであんな事件を起こしたのか。
事件現場近くの居酒屋に入った。店には若い二人組がビールを飲んでいた。カウンターに座り、焼き鳥をつまみながら、20数年前のこの界隈の様子について尋ねた。
「ここから50メートルも離れない場所に飯場が5件もあってね。ヤマから人が来ていたよ。都営住宅が出来て、仕事をまともにしない人間が多かった。子どもたちにも良くない環境だったよ。北綾瀬駅が出来てから、飯場が無くなって、前よりは環境が良くなったけどね」
二人組が帰った後、居酒屋の主人に事件のことについて尋ねた。焼き鳥を買いに来た加害者かその仲間たちのことを思い出してくれた。
「いつも若いのが二人組で塩の焼き鳥を買いに来たよ。手にタバコを押し付けられた痕がついててね。塩を買うってのは、酒飲みの証拠だよ。買う数はいつも4、5本だけどね」
手にタバコを押しつけられた痕があったというからには、主犯格のAに使い走りをさせられていた少年だったのかもしれない。
少年たちはどこで道を踏み外したのか?
たかが数本の焼き鳥を買いにくるどこにでもいる等身大の少年の姿、史上最悪の事件を起こした鬼畜の姿。少年と事件の大きさとのギャップに驚きとともに虚しさを覚えずにはいられなかった。果たして少年たちは、どこで道を踏み外し、鬼畜の所業に及んだのか。
コンクリート事件の現場周辺は、少しずつ風化が進み、彼らが遺体を遺棄した埋立地の周辺も家族連れが集まる海浜公園となっている。ただ、事件を犯した人間たちに宿った業はそう易々と消え去ることはない。