史上最悪の少年犯罪と呼ばれる「綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件」。たった7日間しかなかった昭和64年(1989年)の1月4日に被害者のX子さんは命を落とした。その日から今日でちょうど37年が経つ。
事件から11年後、「ニュースステーション」ディレクター(当時)で、現在は北海道放送(HBC)報道部デスクを務める山﨑裕侍氏は、集団強姦に関与し少年院送致となった元少年・Fに接触した。刑を終え、家庭を持ち、社会の中で生活する彼は、事件とどのように向き合っているのか。山﨑氏の著書『償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って』より一部を抜粋して紹介する。(全3回の2回目/続きを読む)
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9月初め、Fとファミレスで会うことに
1週間後、Fから電話が来る。「手紙ではわからないこともある」として、3日後に直接会って取材の趣旨を説明することになった。
9月初め。Fの自宅近くのファミリーレストランで僕らは向き合って座っていた。テーブルにはレストランのおすすめセットが並ぶ。予想に反し、Fはよく話した。自身の生い立ち、妻との出会い、現在の家庭の状況、新聞配達を辞めて建設業で働いていること、その仕事で抱えている悩み。話しているときの彼は、真剣で、ときに饒舌に、ときに落ち込んだ様子で表情を変えていった。
「事件のことを思い出さない日はなかったけど、実は最近は忘れかけていた。今回のことで思い出すきっかけになったのはある意味よかった。忘れてはならない。自分のためにも。被害者がどんなにつらかったかは想像できない。その親にかける言葉もない」
客もまばらな静かな店内で、彼の太く低い声が僕の耳に響いてきた。
「子どもを大切にしている。事件のことは子どもが生まれて考え方が変わった。親の立場として被害者のことを考えるようになりました」
「事件のことをこうして思い出すのは自分の宿命。しょうがない。それだけのことを自分はやったのだから。むしろ忘れてはならない。それが償いというか……」
「答えはない。ヒントがあるだけ。みんなに考えてもらいたい。事件が起きて、過剰に報道するだけでなく、もっと深く取材してほしい」
誠実に応える姿は藤井氏のルポで読んだイメージのままだった。話す内容も変わらず真実味があった。おそるおそるテレビカメラでのインタビューを打診した。
「できるだけ取材に協力したいけど、妻に話して彼女も納得したうえで取材に応じたい」
妻と相談した結果は、僕のポケットベルを鳴らして返事をするとFは言って別れた。
