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平成皇室は「皇太子への憂鬱」から始まった――2018上半期BEST5

「私家版 平成皇室10大ニュース」座談会 #2

「訪れていない場所すべてに行きたい」という気迫

辛酸なめ子(漫画家、コラムニスト。毎年、新年一般参賀で皇居を訪れている皇室ウォッチャー) 天皇皇后両陛下が、日本地図にご訪問された地が分かるようピンをたくさん刺していらっしゃるお写真からは、「訪れていない場所すべてに行きたい」という気迫が感じられます。

2011年12月、御所で国内の訪問先にピンをつけられる天皇皇后両陛下 宮内庁提供

河西 今年3月には沖縄県の与那国島も訪問しましたね。昭和の時代、明仁皇太子(当時)が福祉施設を訪れたときの新聞記事を見ると、立ったままで少しぎこちない様子に見える写真が載っています。その一方で、ベッドに横たわっている人に顔を近づけて、話しかけているのは美智子皇太子妃(当時)なんですね。

「雲仙・普賢岳被災者のお見舞い」(1991年)では、はじめて天皇皇后としてひざをついて、 避難所で生活する被災者に語りかけました。この時はまだ手探りであったと思いますが、その後様々な場所への「お見舞い」を経る中で、次第に現在のスタイルが確立します。私は、お二人が一緒になって公務に取り組むうちに、だんだんと明仁天皇が慣れていったのではないかと考えています。

1991年7月10日、中学校の体育館に避難している住民から雲仙・普賢岳噴火による被災の様子をお聞きになる天皇陛下 ©時事通信社

辛酸 ちょっと話が逸れてしまうのですが、昨年9月、天皇皇后両陛下が私的旅行で訪れられた埼玉県の高麗(こま)神社に私も行ってきたんですよ。1週間くらい後に。

辛酸なめ子さん

河西 7世紀に滅亡した朝鮮半島・高句麗からの渡来人をまつる高麗神社を、天皇皇后が参拝しましたね。天皇は2001年の誕生日会見で「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と発言しています。

辛酸 高麗神社の近くにいたおばさんたちが、「美智子さまは素敵な方よね、品があるわね」「ここを歩かれたのね」と彼岸花を見ながら話していて。ああ、こういう風に噂話が広まるのかと思ったのですが、さらに大きな声で続けて「美智子さまは飯能の合同庁舎のお手洗いをお使いになったらしいわよ」と。

2017年9月20日、埼玉県日高市の高麗神社を訪問された天皇皇后両陛下

S記者 すごい、そんなところまで(笑)。真偽のほどはさておき、地元の人たちからしたら興味津々だったんでしょうね。