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平成皇室は「皇太子への憂鬱」から始まった――2018上半期BEST5

「私家版 平成皇室10大ニュース」座談会 #2

パラオへの慰霊の旅でお召しになっていたスーツ

S記者 あの日、美智子さまがお召しになっていた白いスーツは、実はパラオへ慰霊の旅をされた折にお召しになっていたものと同じで、少しお手直しをされていらっしゃるようですね。天皇皇后両陛下が韓国ご訪問への強い思いをお持ちでいらっしゃることは、週刊誌などでしばしば報じられています。しかしお二人が実際に韓国を訪れられることは、なかなか難しいですよね。高麗神社という場所へ、パラオご訪問のときと同じお召し物を着られたというのは、最上級の慰霊のお気持ちを示されたのではないかと思いました。やはり、身につけられているお洋服には、メッセージがあります。

2015年4月9日、アンガウル島に向かって拝礼される天皇皇后両陛下(パラオ共和国・ペリリュー島) ©JMPA

――最後までおっしゃらないけれども、何かメッセージを表すものとして、「歌」がありますね。

河西 歌は大きいですね。美智子皇后の御歌(みうた)は本当に上手いです。言いすぎず、でも微妙なラインをついているように思います。どちらかというと明仁天皇の御製(ぎょせい)のほうが、はっきりとメッセージを伝えています。

観音崎戦没船員の碑除幕式激しき雨の中にとり行はれぬ
かく濡れて遺族らと祈る更にさらにひたぬれて君ら逝(ゆ)き給ひしか
(皇后陛下御歌集『瀬音』より、1971年)


硫黄島
慰霊地は今安らかに水をたたふ如何(いか)ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ
(同上、1994年)

S記者 2017年の歌会始のお題は「野」でしたが、美智子さまはこのような歌を詠まれました。

土筆(つくし)摘み野蒜(のびる)を引きてさながらに野にあるごとくここに住み来(こ)し

 関係者のあいだでは、天皇皇后両陛下がお住まいの御所がある皇居を「千代田」、皇太子ご一家がお住まいの東宮御所がある赤坂御用地を「赤坂」という通称で呼んでいるのですが、この御歌からは美智子さまが「千代田」からも「赤坂」からも出ていかれることを前提に詠まれているように思えて、「東宮御所に移られるのではなかったかしら?」とちょっと疑問に感じたんです。その後に高輪の旧高松宮邸へ一時的にお住まいになるということが報じられて、腑に落ちました。美智子さまの御歌は何かを考えさせられますね。メッセージを読み取らねば、という感じで受け取っています。

河西 天皇や皇族というのは、どうしても直接的に自分の意思をはっきりと表現できないので、その意思を知るために歌を分析することはとても重要だと思います。

――そう考えると、「退位」についての天皇陛下のお言葉は相当ダイレクトでした。

河西 そうですね。「退位に関するおことば」(2016年、宮内庁HPでは「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」と記載)をめぐっては、かなり難しい状況があったと思います。憲法のもとでは、天皇は自分の意思を表明してはいけないということになっている。しかし伝え聞くところでは、もう数年前から「譲位したい」というお気持ちだったのが、政府との関係でなかなか事態が前に進みそうもないので、NHKがスクープするという形で公になりました。

2016年8月8日、「象徴としてのお務め」についておことばを述べられる天皇陛下 宮内庁提供

 あの「おことば」からは「疲れたから辞めたい」というよりは、「今ある公務を減らすということは、自分が考える象徴としてのあるべき姿ではないから、それならば全部譲りたい」という心理がにじみでていたと思います。ただ、それは今の政府やそれを支える層の意向とそぐわないという事情もあったのでしょう。それから「天皇のお気持ちをNHKがスクープした」という点については、どういうプロセスを経て至ったのか、今後検証されなければならないと思います。

 

S記者 用意周到なシナリオでしたよね。2016年7月13日、NHKが夜7時のニュースで「天皇陛下 『生前退位』の意向示される」と報じたとき、天皇皇后両陛下はご静養で葉山にいらしたんです。皇居にはお二人ともいらっしゃらなかった。翌日両陛下は帰京されるのですが、その頃には第1報による混乱はだいたい落ち着いている状況でした。車の中から沿道の人びとに手を振られる陛下のお顔が晴れやかでしたよね。

河西 余計に、誰が考えたシナリオなのか気になるところです。明仁天皇は2019年4月30日に退位して、5月から新しい元号が始まります。