「それは本人次第じゃないか。ちゃんとやろうと思えばできるし。逆に何も言われないところでちゃんとできれば、それはそれで社会に出てもやっていける。少年院みたいに『君の問題点はこうで、何々を更生しろ』と言われて、いざポンと社会に出るより、何も言われないなかで自分で考えてやるという、そっちのほうが本当に身につきますよ」
刑務所でのことを聞いたら嫌がるかと思ったが、むしろ饒舌だ。
「いろいろと失敗とかもあったけど、やっぱそういうなかで考えたりして、どっちが良いかわからないですよ、それは。だから制度というよりも本人がどうやるかがいちばん。本人が動かなかったら何もならない」
「自分自身は刑務所のなかでいろいろと考えた?」
「あー。まあ、考えますよね、すごい考えますよね」
聞かれたくないことだとわかっていたが、どうしても質問しなければならない。
「被害者に対して申し訳ないという気持ちか?」
「あ、いろいろな自分の生き方とかもあるし……」
被害者を強姦したうえに回し蹴りして鉄球で…
二審の裁判でCの担当弁護士は、Cは4人のなかでも最年少で、AやBの指示を受けての犯行において従属的な立場だったと主張した。そして〈犯行後、人間性に目覚めた成長を遂げ、罪の責任の自覚を深め、両親も被害者らに対する陳謝の念を示し、監督、監視の至らなかったことを反省し、同被告人と共に一生をかけての贖罪を誓っている〉として、保護処分が相当だと一審の量刑不当を訴えた。
だが、東京高裁は判決で〈被告人らの中で最年少であり、本件犯行当時15歳ないし16歳であったことなどを考慮しても、同被告人について、保護処分が相当であるとは到底認められず、所論は失当である〉と弁護側の訴えを退け、一審よりも重い懲役5年以上9年以下の不定期刑を下している。
被害者のX子さんを強姦、暴行しただけではない。自室を監禁場所として使うのを承諾したのはほかならぬC自身だ。1988年12月上旬、X子さんが逃走を試み、警察に通報を図ったことがある。腹を立てたA、B、Cが彼女の顔面を多数回にわたり殴った。
12月中旬にはBとCがX子さんの顔面などを手拳で数十回にわたり殴打して、顔面が腫れ上がり変形したのを見て「でけえ顔になった」などと言って笑った。1989年1月4日の死に至る暴行では、CはBとともにX子さんの顔面を回し蹴りし、倒れると無理やり引き起こして、さらに蹴りつけるなどした。彼女は転倒して部屋にあったステレオにぶつかり痙攣を起こした。暴行にはAとDも加わり、4人で次々と顔面、腹部、太腿部などを手拳で殴打し、足蹴りするなどした。Aが1.7キロもあるキックボクシング練習器の鉄製脚部を持ち出し、ゴルフスイングのように太腿部などを力まかせに何度も殴った。B、C、Dらも代わる代わる太腿部などを鉄球で数十回殴打した。
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