角幡唯介は私にとって「近所の異人」みたいな存在だ。私たちはともに早稲田大学探検部出身(私が10歳上)。誰もやらないことをやり、誰も書かない本を書いてきたことも共通している。いっぽうで、私は人間社会の未知や謎を探求してきたのに対し、角幡は自然を相手に命を賭した冒険を繰り広げてきた。行動基準や意識、志向がまるで異なる。だから毎回彼の書く本は私には「そうだよな」という共感と「マジか!?」という驚きの両方を呼ぶ。この新刊もそうだ。
そもそも43歳が人生の頂点って何だよ?と思う。読めば「自分がそうだったから」という理由で始まり暴論もいいところ。でもそこから角幡節が炸裂。極地の乱氷帯を進むがごとき荒々しくも緻密な論理で読み手をねじ伏せにかかる。
キーワードの一つは「自分の山」。角幡は登山をベースとする冒険家なので山の比喩が多いし実際にわかりやすい。彼曰く、20代から30代にかけて、体力や技術がどんどんあがっていくにつれ、「次これを登りたい」という「自分の山」もどんどん大きくなっていく。
体力は30代後半で落ち始めるが経験の力が補って40代前半に総合力ではピークを迎える。同時にそこに魔の領域も発生する。「自分の山」(思いつく冒険のスケール)と体力に開きが生じるからだ。さらに本人もそれを実感するため焦りにもつながりやすい。その結果、その年代――とくに43歳で遭難死する冒険家が多いのではないかという。
実際、植村直己を始め、長谷川恒男、谷口けい(ともに登山家)、星野道夫(写真家)、河野兵市(極地冒険家)といった日本を代表する冒険家が43歳で命を落としている。
これだけでも面白いのだが、角幡は他にもユニークな理論をいくつも披露している。私がいちばん感銘を受けたのは「死の余白」理論だろう。冒険家は生きて帰って来ると「死ぬまでやれなかった(余白を残した)」という不完全燃焼感に苛まれるという。恐ろしい理論だが、まさか三島由紀夫の自決までそれで解釈できるとは「マジか!?」である。
いっぽうで、同じく「死の余白」に取り憑かれた作家、開高健は別の選択を行った。こちらの解釈は私が常々考えていることと全く同じだったので「そうだよな」である。
もう一つ、43歳の頂点をすぎた人間はどう生きるべきか。角幡の言説を私なりにまとめればやはり「自分の山」を行け!ということだろう。でも今度は登らずに「下る」。そして山を下る方が登るよりもずっと個性豊かな生き方ができると説く。なぜそうなるのかは実際に本書を読んでほしい。
ところで私は今年60歳。なのに「自分の山」はますます大きくなっている気がする。私の人生の頂点は63歳なのかも。ならば、魔の領域に気をつけて邁進したい。
かくはたゆうすけ/1976年、北海道生まれ。探検家・作家。近年は地球最北部で犬橇長期旅行を実践する。著書に『空白の五マイル』『アグルーカの行方』『極夜行』『裸の大地』『地図なき山』など多数。
たかのひでゆき/1966年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。近著に『酒を主食とする人々』。
