『筆と槍 天下を見届けた男』(佐藤巖太郎 著)

 首を斬れ――。

 和久又兵衛(わくまたべえ)は、信長が追放した足利義昭を匿う主家・三好家の弁明の使者として信長の面前にいる。だが、主君に欺かれ、言行不一致を信長に咎められた。命運もつきたその時、羽柴秀吉に救われ、織田家への鞍替えを果たすため、三好が拠る城の調略を命じられる。絶対に失敗は許されない。使者が首に下げていた十字架を見て、又兵衛はある交渉条件を思いつく……。

 戦国時代、信長、秀吉に仕え、その覇業を陰で支えた男・和久宗是(そうぜ)を主人公に描く歴史小説『筆と槍 天下を見届けた男』を上梓した佐藤巖太郎さんは、「もちろん、一般的に知られた人物ではありません」と語る。

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「宗是は、もと三好家の家臣で『槍使い』の又兵衛として知られた武将。伊達政宗の小田原参陣で秀吉への臣従を促した人物。乱世を、戦働きではなく、筆一本で渡り歩いた『右筆(ゆうひつ)』です」

 戦国時代の右筆とは、大名などの代わりに文章を書き、また公文書や記録を作成する文官。いわば事務官僚であるが、「戦国の外交官」としての役割も担っていた。

「右筆は『取次』として、他国との交渉役になり、敵方の武将を懐柔したりする重要な仕事でした。いわゆる戦国武将の目的は、相手を戦いで倒し領地を分捕ること。勝つか負けるかしかなく、恨みや復讐の連鎖を生む。一方、右筆は、双方の折り合う点を見つけ、書状と交渉を駆使して、相手との共存を目指していくのです」

〈交渉ごとはいかに相手に寄り添うかが肝要〉。そのために宗是は情報収集に励む。交渉に相応しい相手を探し出し、相手の望みを読んで解決策を練る。

「これを秘密裡に行う。露見しては、相手のプライドを傷つけたり、味方の秘密が漏れたりしますからね。この仕事は、同時に、交渉相手と一心同体のリスクを負うことにもなります。失敗すれば、連座して責任をとらされることになる」

 秀吉の天下統一事業も、残すところ関東の北条と奥羽の諸大名のみとなった頃。伊達家の取次となった宗是は困難を抱える。伊達政宗が、私闘を禁じる惣無事(そうぶじ)令を破り、芦名家を滅ぼしてしまったからだ。伊達と敵対する佐竹家の取次は石田三成。三成が秀吉に佐竹寄りの進言をすれば形勢は覆せない。伊達が処罰されるのは明白。しかし、当の政宗は一向に参陣してこない。政宗は何を考えているのか。宗是は伊達家の存続をかけて大芝居をうつ。

「政宗は別の取次役だった浅野長吉には絶縁状を送りながら、宗是の書状は大切に残し、関ヶ原の後で家臣として迎え入れています。よほど恩に感じたのでしょう。現代にも通じますが、交渉による紛争解決とは、過酷なプロセス。宗是が情報戦略のプロとしていかに生き抜いたか、そのスリルを楽しんで欲しいですね」

佐藤巖太郎さん

 自らの働きが、安寧なる世の中を実現させつつある。ゆえに懊悩は深まる。〈筆を執る己と、槍を握る己。2つの生き方の間で、宗是の感情は波打っていた〉。そして、宗是はついに決断する。

「己がすべきことを知った彼の境地を〈必ずしも死が禍(わざわい)とは限らない〉と書きました。ただその後、私はがんが見つかりまして。死を意識したとき、この言葉を削除しようかと気持ちが揺らぎました。しかし、私には作者としての責任がある、結末を変えずに維持しようと決めた。その覚悟がモチベーションになり、手術を乗り越えることができた。筆一本で生きた人間を再現しようという思いが、自分自身の力になりました」

 宗是の物語が、よい巡り合いになりますように。佐藤さんは静かに微笑む。

さとうがんたろう/1962年、福島県生まれ。2011年「夢幻の扉」でオール讀物新人賞を、16年「啄木鳥」で「決戦!小説大賞」を受賞。17年、デビュー作『会津執権の栄誉』で直木賞候補となる。同年、同作で「本屋が選ぶ時代小説大賞」を受賞。他の著書に『将軍の子』『伊達女』『控えよ小十郎』がある。

筆と槍 天下を見届けた男

佐藤 巖太郎

PHP研究所

2025年11月18日 発売