「今、出してやっからな!」故人の叔父が、棺の中の姪に何度も声をかけながら作業を続け…

 きっかけは4月15日、石巻市の仮埋葬地で行った作業である。依頼は、遺族が自分たちで掘り起こした遺体を「仙台市に運んで安置して欲しい」というものだった。

 清月記の事業開発部長だった西村恒吉がスタッフを伴い現地に入ると、既に作業が始まっていた。遺族が小型重機で掘り起こしていたが、石と岩、地下水に阻まれて遅々として進まない。やがて背丈以上の墓穴が掘られ、そこに入った故人の叔父が、棺の上に覆い被さった水まじりの重い泥を、必死の形相で掻き出していた。

「今、出してやっからな!」

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 叔父は、棺の中の姪に何度も声をかけながら作業を続けた。西村らスタッフへの依頼は搬送だけだったが、吊り出された棺からは溜まった血液や脂が流れ出ており、もはや遺族が処理できる範囲を超えていた。

 清月記のスタッフは、準備していた入れ替え用の棺を脇に置き、納体袋ごと引き上げて、大量の血液と脂を洗い流したうえでチャックを開け、口や鼻から流れ出る血液や体液を拭い、綿花を詰めるなど処置を施し、可能な限り清めてから新たな棺に納めて搬送した。

「掘り起こしの現実を目の当たりにして震えた」

 当日の様子を西村は『業務日報』にこう書いている。

《掘り起こし開始から2時間後、寝台車までのメートルの距離を我々スタッフとドライバーで運び、ようやく搬送となった。

 震災発生から約1か月。掘り起こしの現実を目の当たりにして私たちは震えた。同時に遺族の逞しさと、掘り起こす執念に触れた。しかしこの作業を遺族にさせるのはあまりにも酷だとも思った。

 この大震災の犠牲者が、予期せぬ形で「仮」に葬られている。これらを計画的に、躊躇せず、遺体の尊厳を守りながら行うのには、我々葬儀社が「仕事」として取り組むべきではないか、そんな風に考えたこの日の出来事が、その後、掘り起こし作業を請け負う大きな動機となった》

火葬が追い付かず、一時的に土葬していた遺体を掘り起こし火葬にする「改葬」が進む仮埋葬場(写真は宮城県女川町) ©時事通信社

掘り起こしの壮絶な現場

 その意欲通りに清月記は石巻市の委託によって火葬のための「掘り起こし作業」を始める。5月7日が初日だった。

 社長の菅原は大本茂常務を責任者にして、役所との交渉、計画、管理を西村が行うプロジェクトチームを編成した。リーダーとなっていた西村は、4月15日の経験から作業が困難を極めることを承知していた。

 ただ、被災地のすべてが、そして清月記全体が戦場だった。清月記は本社から4km離れた仙台宮城野斎場清月記をベースステーションにして、4会館を安置所として提供していた。多い時には250~300体の遺体を受け入れていたという。そうした安置所の1つだった仙台市の仙台中央斎場清月記で、西村がこう振り返る。

「掘り起こしの現場はたしかに壮絶でした。ただ、こうした作業こそ我々、葬儀社の仕事ではないかと思ったし、『今、出してやっからな!』という言葉に込められた遺族の方の強い思いに励まされたのも事実です」

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