天下人・豊臣秀吉には、表舞台では語られない「ハンデキャップ」があった――。のちに家臣たちから陰口を叩かれた身体的特徴とはいったい? 歴史学者の磯田道史氏の新刊『豊臣兄弟 天下を獲った処世術』(文春新書)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

豊臣秀吉が抱えていた「大きなハンデキャップ」とは? ©getty

◆◆◆

十六歳で実家を出た秀吉

 次に秀吉、秀長はどこで育ったのかを探ってみましょう。

ADVERTISEMENT

 秀吉も幼時は尾張国中村で育ったと思われます。早くに父をなくした秀吉は、養父となった竹阿弥とは、うまくいかなかったようで、十六歳のときに長子ながら家を出ます。『太閤素生記』はこのあたりの事情を詳しく述べています。

〈太閤十六歳 天文二十年(辛亥)春 中々村を出られ 父死去の節 猿に永楽一貫遺物として置く此銭を少し分け持て清洲ゑ行 下々の木綿ぬのこをぬふ 大き成る針を調へ懐に入 先鳴海迄来て此針を与て食に代る 又針を以て草鞋に代る 如此針を路次の便となして遠州浜松へ来らる〉

「秀吉は十六歳の春、中中村を出た。父が死んだとき猿にと永楽銭一貫文を置いてあった。この銭を少し分けてもらって、清洲に行き、下々が木綿布子を縫う大きな針を調え、鳴海まで来てこの針を与えて食や草鞋にかえ、このように針を路用にして、浜松に来られた」