天下人・豊臣秀吉――だが、その出自には大きな謎が残されている。史料を読み解くと、秀吉には「父親が二人いた」可能性が浮かび上がるのだ。なぜ日本史上屈指の英雄でありながら、父の正体は定まらないのか? 歴史学者の磯田道史氏の新刊『豊臣兄弟 天下を獲った処世術』(文春新書)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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父親は誰か?
二人の兄弟関係を考えるうえで、最も重要なのは彼らの親は誰か、という点です。特に父親のほうが謎が多いのです。
秀吉、秀長とも、母親は同じでしょう。母は「仲」と呼ばれることもある、のちの大政所です。これに異論を唱える研究者はいません。
問題は父親です。秀吉と秀長の父は同じなのか別なのか。
秀吉、秀長ともに、同時代の史料からは父が誰であるかは確定できません。彼らの幼少期について書かれたものは、当然ですが、すべて秀吉が功成り名を遂げた後、まとめられたものです。
そのなかで最もよく参照されるのは『太閤素生記』でしょう。これは江戸初期の寛永年間、すなわち十七世紀前半に、秀吉の生涯に関する聞き書きをまとめたものです。著者は徳川秀忠、家光に仕えた旗本の土屋知貞ですが、他史料にはない秀吉の前半生に関する詳しい記述があることで知られています。
とはいえ、この書物が書かれたのは、秀吉の死から数十年もあとのことです。それにもかかわらず、この『太閤素生記』が重視されてきたのは、土屋知貞が話を聞いた情報源(ネタモト)が特別だからです。
