1月4日から放送が始まったNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』。“長生きしていれば豊臣家の天下は安泰だった”とまで言わしめた天下一の補佐役、豊臣秀吉の弟・秀長が主人公となっている。
しかし、秀長に関する一次史料は非常に少なく、軍記物語にもあまり詳しく記されていないという。いったい、豊臣秀吉と秀長はどのような絆で結ばれていたのか。謎に包まれた豊臣一族の関係とは――。
ここでは、豊臣兄弟の絆に加え、二人を支えた豊臣一族の絆と愛憎を描いた、歴史作家・河合敦氏の著書『豊臣一族 秀吉・秀長の天下統一を支えた人々』(朝日新書)より一部を抜粋して紹介する。(全3回の2回目/3回目に続く)
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秀吉の母「なか」の素性とは?
少ないながら、母親の家柄から秀吉の素性をたどる研究もある。母の名は「仲、なか」というのが有名だが、これも一次史料では確認できない。
法号は天瑞寺殿春岩宗桂大禅定尼だが、秀吉が従一位関白となったさい、その尊称である大政所の名を朝廷から賜っており、秀吉もそう呼んでいるので、秀吉の母のことは状況に応じて、なかや大政所と記すことにする。
前述のとおり、『関白任官記』には、大政所が萩中納言の娘だったとある。公家説だ。このほか尾張の百姓の娘説、美濃の鍛冶の娘説などがある。かなり昔の研究だが、松田修氏、小和田哲男氏、渡辺豊和氏などは、山野を漂泊して生活する山窩(非農業民)の可能性が高いとする。
ただ、一般的に考えれば、弥右衛門を尾張の百姓とするならば、大政所も同じ国の百姓の娘と考えるのが妥当かと思う。

