「彼が自ら豊臣を名乗ったことはない」とも、秀長、あさひ…秀吉の“きょうだい関係”

 続いて秀吉の兄弟姉妹の話をしよう。 

 秀吉に姉と弟と妹が一人ずついたことは、一次史料によって確認されており、動かせない事実だ。姉は一般的に「智、とも」と呼ばれているが、後世の編纂物によるもので本当の名はわからない。法号は瑞龍寺殿日秀だが、人間らしく思えないので、以後は智と呼ぶことにしたい。確かな生年は不明だが、巷説(こうせつ)では天文3年(153四)。つまり、秀吉より3歳年上だとされる。

秀吉の姉「とも」を演じる宮澤エマさん(本人のInstagramより)

 続いては弟。豊臣秀長(ひでなが)という名が一般的に知られているが、彼が自ら豊臣を名乗ったことはなく、羽柴大和守(はしばやまとのかみ)秀長というのが正しい。幼い頃は小竹(こちく)と呼ばれ、兄と同じく織田信長に仕えるようになると、小一郎(こいちろう)と称した。実名は「秀長」であるのは間違いないが、その名を称するのは亡くなる7年前の天正12年(1584)から。

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 それまでは意外にも「長秀(ながひで)」と称しており、信長には木下小一郎長秀として仕えていたのだ。死去したのは天正19年。享年は51歳と52歳説があり、近年は51歳が有力なことから、天文9年生まれと考えられている。つまり、秀吉の3歳下の弟になる。

 妹も実名はわからない。法名は南明院殿。二次史料では朝日(あさひ)(あさひ)と呼ばれているので、朝日と記すことにしたい。秀吉より6歳下の天文12年生まれだといわれる。

豊臣秀吉の妹「あさひ」を演じる倉沢杏菜さん(本人のInstagramより)

 弟の秀長と妹の朝日だが、『太閤素生記(すじょうき)』では秀吉や智とは父親が異なるとしている。 

 秀吉と智は弥右衛門の子で、秀長と朝日は竹阿弥の子だというのだ。いっぽうで、4人とも大政所(なか)と弥右衛門の子とする説もある。残念ながら実際のところはわからない。

 ただ、秀吉は天下統一まで弟の秀長に全幅の信頼を置き、右腕として頼りにしている。実際、秀吉の栄達のかげには秀長の存在が大きいのだ。これに関しては、これから縷々(るる)述べていこう。

次の記事に続く 幼少期に父親が死亡→継父と不仲になり10代で家出→数年間で38回も転職する“どん底生活”…「豊臣兄弟」秀吉の転落人生を変えた“運命の出会い”

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